田原総一朗×長谷川幸洋 前編「オフレコなんて官僚の情報操作。新聞記者は周りの空気ばかり読んでないで自分の主張をせよ」

田原: 今日はオフレコ問題について,聞いてみたいんです。最近、よく政治家や官僚の失言などで話題になりますよね。

長谷川: 基本的な私の認識としては、かつては違ったかもしれないけれど、今はオフレコというのは、官僚や政治家が自分たちの政策や政局の問題を操縦する重要な手段になっていると思うわけです。

 とりわけ官僚にとっては、記者を集めておいて「オフレコだ」ということは、自分の正体は絶対に明かさないけれど、自分の言っていることは書いてもいいよ、むしろ書いてもらいたい、ということでしょう。それで自分たちの政策の相場観、たとえば東京電力でいえば存続を前提に考えるような相場観を広めたい、そのための手段として使われています。

 本来なら、記者はそこを追及していかなければならないはずであって、いちばんオープンな記者会見の場で追及できればいいんですが、残念ながら今記者会見ではみんな下を向いていて、質問するのはフリーランスばかりという状況です。つまり、記者会見が会見として機能しなくなっているんですよ。

 そこでオフレコということで、何かをおそるおそる聞いて、官僚の身分を隠して、でも言っていることは全部書く、ということになっています。僕はこういう状況はおかしいと思っているんです。馴れ合いですよね。

田原: 具体的に沖縄防衛局長と「琉球新報」の問題でいうと、「犯す前に犯すと言うか」という発言がおかしいと思ったら、まずその場でやり合うべきですよ。それでやはり書かなければならないとなったら書くぞ、文句があるか、と言えばいい。文句があるようなら、そのやりとりも含めて書いてしまえばいいんです。そこで黙っていてあとで書くというのは、僕は問題があると思う。それがなければ大した問題じゃない。

 いちばんいけないのは全国紙ですよ、琉球新報が「犯す前に」と書いているところを、全国紙は上に括弧書きで「(女性を)犯す前に」と書いているんだけど、こんなことは琉球新報は書いていない。なんでこんなよけいな文言を入れるのか、と。なぜ入れたのか知らないけれど、全部入れてあるんです。これは全国紙の記者の品性が下劣だと思いました。

 もう一つのほうが大問題だと思うんだけど、あれは田中聡沖縄防衛局長が本音を言ったんだと思うんですよ。つまり、彼は環境アセスメント評価報告書を出すことは、沖縄を犯すことだと思っているんですよ。僕はそれは正論だと思います。

 自民党が17年かけて米海兵隊普天間飛行場を辺野古に移そうとしていて、沖縄県知事もOKしたし名護市長もOKしていた。ところが鳩山さんが総理になった途端に「絶対辺野古には移転しない。最低でも県外だ」と言った。ところが、「最低でも県外だ」と言いながら、実は県外にアテはないんですよ。

 一昨年の11月に外務省は「結局辺野古しかない」と決めるんですよ。僕はそのとき外務大臣の岡田克也さんに「そのことを鳩山さんに言ったのか」と聞いたら「言った」というんです。「結局辺野古しかないですよ」と言われて、鳩山さんが何と答えたかというと「君はそうかもしれないけれど、俺には俺の考えがある」と。それで岡田さんは、「総理がそう言うなら、きっとアテがあるはずだ」と思ったから賛成したんだけど、実はアテなんかなかった。

 それで鳩山さんは5月4日に沖縄に行ってコテンパンにやられるんだけど、そのあとで僕が鳩山さんに会って、「あのとき岡田さんに、俺には俺の思惑がある、と言ったそうだけど、何かアテはあったんですか?」と聞いたら、「あるわけがない」と答えた(笑)。

 だから僕は、「なんでそんないい加減なことを言ったんですか、もし根拠がなかったのなら、あなたは1月にでもすぐに沖縄に行って、結果的にだますことになって申し訳なかった、と謝罪して、何とか辺野古移転への理解を求めるべきだったんじゃないんですか?」と聞いたんです。そうしたら、周りが「総理が動くことはありません、自分たちが5月までに何とかします」と言った、というんですよ。

辺野古〔PHOTO〕gettyimages

 「周り」といっても3人しかいないんですよ。外務大臣と防衛大臣と官房長官です。そのときの官房長官に「自信もないくせに、なんで、総理は行かなくていい、私がやる、と言ったのか」と聞いたら、「田原さん、官房長官というのはそういうものなんです」と。つまり、「たとえトップがまちがったことをやっていても、そのトップに100%尽くすのが官房長官なんです」と、そう言ったんです。

 それで、鳩山さんは5月4日に沖縄に行ってコテンパンにやられながら、沖縄を説得できないまま5月28日にアメリカと辺野古移転を決めてしまった。これはやっぱり沖縄をだましたことになるわけだし、しかも野田さんは沖縄へ一回も行かないでそれを強行しようというのはおかしいと僕は思うんです。

 だから僕は、まさに田中聡さんが言ったことは正論であり、本音を言ってしまったんだと思います。それを、「とんでもないまちがいだ、女性に対する蔑視だ、沖縄に対する蔑視だ」なんて書いた全国紙は何を言っているんだ、と。

長谷川: なるほど。僕は今日、琉球新報は持ってきたんですが、当時の政治部長がデスクをやっていて、その判断を下したらしいんです。「おかす」という字は、犯罪の「犯」か、侵犯の「侵」か、冒険の「冒」かということで、田中局長の発言を直接聞いた現場の記者に確認したそうなんです。

 その記者は、その前に太平洋軍司令官だかの問題についての話があったので文脈上これは犯罪の「犯」だ、と言って、それで「犯す」という表現になったそうなんです。しかし、琉球新報は識者と新聞を作る対談のようなものを持っているんですが、そこである識者の方が、「女性を犯す」という意味にとるのは女性蔑視につながるし、あれは「人間の尊厳を犯す」という意味なんだ、というふうに言っていて、「それは少し配慮が足りませんでした、よく考えてみます」というやりとりが出ていました。

田原: あれは「沖縄を犯す」なんですよ。僕はそれを正論だと思うし、オフレコの懇談会ということで、田中さんがつい本音を言ってしまったということだと思います。問題なのは、そこを全国紙がまったく理解していないことなんですが、もっとひどいのは、一川防衛大臣の言ったことで、あれは完全に大臣としての適格性に欠ける発言だと思うんだけど、「弁解の余地のないことを言った、これはクビにしなければならない」と言って田中さんをクビにしてしまった。何が「弁解の余地のないこと」なのか、僕にはまったく理解できない。

長谷川: 元はといえば、政治の側の問題、民主党政権の側の問題で、永田町の議員バッジを着けている人たちが言っていたことを、官僚が正確に表現しただけじゃないか、というのが田原さんのご指摘ですね。

田原: それを全国紙がまったく理解していなくて、「女性蔑視だ」とかくだらないことを言っている。

長谷川: たしかに、民主党政権になってからの経緯で見れば、県外だの国外だのと言っていたのをだまし討ちでやったのは政治家の側の問題なのだから、官僚の側としては、そういうことになってしまうんだ、という自分の理解をそのまま言った、と、そういうことなんでしょうね。なるほど。

政府の枠組みで議論してはいけない

田原: 問題なのは、これからどうするのかということですよ。僕は辺野古移転は無理だと思っていますが。

長谷川: 私はすごくおもしろいと思ったのは、今回の琉球新報の動きなんです。以前、防災担当大臣だった松本龍さんのオフレコ発言を報道したのが、東北放送だということですよ。東北放送というローカル局で、東京のマスコミもその場にいたのにそれを報道しなかった。今度も琉球新報というローカル紙だけがオフレコ発言を報じたわけで、東京のマスコミのお仲間グループからはちょっと距離のある地元の人たちが報じているというところが、メディアの問題としては重要だと思います。

 つまり、東京のマスコミは、永田町や霞ヶ関の人たちとみんなグルになっているんじゃないのと受け止められてもしょうがない。僕はそこが問題だと思います。

田原: なるほど、東京のマスコミがどうして言えないのか、と。

 鉢呂前経産相の問題でいえば、あれを鉢呂は冗談で言ったんだけど、相手は毎日新聞の記者で冗談だとわかっているから書かなかった。ところが、ちょっと離れたところにいて間接的に聞いたテレビ局の記者がそれを流してしまった。冗談でなくしてしまったんですね。

長谷川: それで、東北放送のときも琉球新報のときも鉢呂のときも、どこかが協定を破ってオフレコ発言を報じても、他社は一応オフレコのルールを守って一度も報じないというならまだいいんだけれど、一社がそれを破ると堰を切ったようにみんな報じるじゃないですか。

田原: もっとひどいのは、全国紙一面の記事で「オフレコ懇談会」と書いた新聞は一紙もなくて、みんな「非公式懇談会」と書いていること。多分「オフレコ懇談会」とは恥ずかしくて書けなかったんだと思う。

長谷川: あと、僕がいやな傾向だなと思うのは、東北放送も琉球新報も鉢呂の問題も、みんなが同じ方向で批判して書く。田原さんのようなご指摘を書いたメディアが一つもなくて、見方がみんな同じなんですよ。

 そこにもう少し踏み込んだような問題とか、鉢呂さんという方がどういうことをしていたのかについては何も書かない。実は福島では鉢呂さんを応援する声がけっこうありますからね。だから、一方向にダーッと流れていくというのが、僕はすごくいやな感じを受けますね。

田原: 鉢呂さんは原発問題で厳しく対応すると言っていたからね。

長谷川: 放射線被曝の限度の数値を低くする方向に動いていたのは、鉢呂さんなんですよ。それが、ある一つのラインが決まると、みんなでそれにワーッと乗っていく。話は違いますが、小沢一郎の問題でも、「小沢は悪い奴で4億円の出所が明らかではない」という方向にいくと、みんなが「4億円の出所はどうなっているんだ」という話になって、一方向に流れてしまう。

 KYという言葉がありますが、新聞も空気を読むのに必死になっていて、誰かが作った空気に乗るのがマスコミの仕事みたいに思っているような、とんでもない勘違いが今すごく広がっていると思います。

田原: 最近の例で言いますが、たとえばこの間政府が東京電力の事故について「収束宣言」を出したけれど、これに対して全紙が批判している。まあ、批判はいいですよ。僕も細野豪志原発事故担当大臣に「なんであんな言葉を使ったのか」と聞いたんですが、「行政上、『収束』という言葉を使わないと次の展開ができないからだ」と言うんです。

 それで「じゃあ次の展開って何ですか」と聞いたら、「20km圏内の人たちがいつ帰れるかという問題だ」と。20km圏内、30km圏内の人たちが帰るためには行政上収束宣言を出す必要があるんだ、ということを細野豪志が言ったんですが、そのことを書いた新聞はどこにもない。

長谷川: それからもう一つは、行程表がありますが、あの行程表自体がかなり無理矢理作ったものだというのは、みんなよくわかっているんですよ。ところが、一旦作って政府が発表してしまったものだから、行程表通りに物事が動いているということにしないと、次のステップに行けないわけです。つまり、自分で作ったフィクションの行程表に縛られて、そのなかで物事を動かしていくために「収束」という表現を使ってしまったんでしょう。

田原: 行程表に書かれている「収束」ということなんですよね。だったらその行程表とは何かということを、ちゃんとマスコミが追及しなければならない。

長谷川: そこなんですよ、ジャーナリズムはそこを追及するべきで、政府の作った枠組みに乗って議論してはいけないんですよ。

田原: 行程表って何なのか、行程表の最終目標というのは何なのか、と、ここをまったく質問しないんですよね。僕がけしからんと思うのは、今原発は批判するのがいちばん無難だし、東京電力の悪口を言うのがいちばん無難なんですよ。そのくせ、細野豪志に何にも取材していない。なんで「収束」なんて言葉を使ったのか、と、そんなのはオフレコでも何でもないんですよ。

長谷川: だから根本の問題はやはりそこで、ある事象について政府なり官僚なりが土俵を設定するわけですが、本来ジャーナリストはそこから距離を置いて自分なりの土俵と理解の枠組みを作って、そこで議論を立てなければならないはずなんです。

 ところが、原発も然り、エネルギーも然り、財政問題も然り、社会保障も然りですが、今は政府が作っている枠組みのなかでの議論しかできなくなっている。もっと自由な言論空間というか、政策の選択の空間というものがあるはずなのに、そこがまったく狭くなっている。そこが問題だと思います。

田原: 消費税の問題なんかも、僕の意見としては今増税するのはやむを得ないしやったほうがいいと思う。多分、ほとんどのジャーナリストもそう思っているはずなんですが、ところが記事を見ていると、民主党のなかで消費税増税反対の意見が強くなったと言って、反対の理由ばかりバーッと書いている。これはむしろ客観報道の欠陥だと思うんですが、まるで消費税増税反対論のほうが説得力があるように書いている。

長谷川: 私は増税反対ですが、それをはっきり主張している。自分の主観で、消費税と社会保障の問題をどうとらえるかという議論がないと、客観報道にもならないはずなんですよね。その傾向がどんどん加速しているように思うんですよ。

以降 後半 へ。

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