総合誌が軒並み不振の時代に高級誌「ニューヨーカー」はなぜ100万部の部数を誇れるのか

 週刊誌「ニューヨーカー」を手にすると、私はいつも静かで満ち足りた気持ちになる。それは同誌が、喧騒を離れ、じっくり読み考える充実の時間を約束してくれる雑誌だからである。

 私は同誌を手にすると、まず美しくウイットに富んだ表紙を楽しむ。そして、一通りめくって、カートゥーンでウォーミングアップしながらどんな記事が載っているかを確認する。ついで、The Talk of the Townに掲載されたエッセイを読み、長文記事へと進む。

「ニューヨーカー」2011年2月14日&21日号

 自分の関心のあるテーマを扱った記事はもちろん、興味のないテーマを扱った記事も必ず1本読む。というのは、興味のないテーマの記事であっても、書き手の視点に接し、丁寧に積み重ねられたファクトを追うにつれ、頭に思考回路ができ、うなずいたり、それは違うだろうと思ったりしている自分に気づくからである。こうした楽しみは他の雑誌では味わえない。

81万部から103万部に

 「ニューヨーカー」はアメリカ雑誌界の最高峰に君臨する雑誌である。同誌は存続を危ぶまれた時期もあり、デジタルメディアの登場で読者の興味が細分化している現状では一般総合誌の多くが読者を引き付けるのに苦戦している。

 だが、「ニューヨーカー」は1998年にデイヴィッド・レムニックが編集長に就任した時は81万3千部の部数だったのが、現在では103万5千部にまで増えている。実に27パーセントの伸びである。しかも、この間に1部あたりの価格は2倍に値上げしている。

 なぜ、文字のぎっしりつまった高級誌が今も読者に愛されているのか。ブロードウェイと42丁目の角近くにある発行元の雑誌出版社コンデナストのオフィスで、レムニック編集長にインタビューした。

 日本で「ニューヨーカー」を最も愛読し、その魅力を伝えてきたのは作家・翻訳家の常盤新平である。私も常盤が翻訳と解説の執筆に従事した『ニューヨーカー短篇集』(全3巻、早川書房、1969年)でこの雑誌の魅力を知り、その後、常盤がニューヨークのジャーナリズムについて執筆した著作を読みあさった。結局、私はニューヨークのメディア・エンタテインメント産業を研究テーマとする研究者になった。

 常盤新平の「ニューヨーカー」研究の集大成といえる書物が、「ニューヨーカー」の歴史を描いた『「ニューヨーカー」の時代』(白水社、1999年)である。

 「ニューヨーカー」の歴史について詳しくはこの本をあたっていただきたいのだが、同書に基づき「ニューヨーカー」の歴史を簡潔に記しておくと、同誌はハロルド・ロスによって、1925年2月21日号を創刊号として創刊された。ロスは、現代のニューヨークの文化の礎を築いたアルゴンキンホテル(5番街と6番街の間の44丁目)のラウンドテーブルと呼ばれる昼食会のメンバーであった。

 創刊号の表紙は、リー・アーヴィンが描いた蝶をめでるダンディーな紳士。後にこの紳士はユースタス・ティリーと名付けられ、今でも毎年2月の創刊記念号の表紙を飾っている。

 ロスは1951年になくなった。1952年にはウィリアム・ショーンが編集長に就任し、1987年まで務めた。ショーンはレイチェル・カーソンの「沈黙の春」、ハンナ・アーレントの「イェルサレムのアイヒマン」、トルーマン・カポーティの「冷血」など優れた作品を続々と掲載した。ショーンはシリアスな方向に雑誌を導きすぎ、ロスの時代にあったジャズ・エイジの陽気さが失われたとの批判もあった。だが、ショーンは書き手から才能を引き出す名編集者であり、彼は「ニューヨーカー」のクオリティ・マガジンとしての名声をゆるぎないものにした。

 だが、いくら名編集者といえどもショーンは編集長として長くとどまりすぎた。ショーンの時代の最後には「ニューヨーカー」は生気を失い、広告収入も減少した。

 ショーンは職を解かれ、ロバート・ゴットリーブが後を継いだ。ゴットリーブはショーンを敬愛し、ショーンの路線を引き継ぐ方針で編集にあたったが、同誌の劣勢を挽回するには至らなかった。

 このため、1992年には、新生「ヴァニティフェア」を軌道に乗せたティナ・ブラウンが編集長に就任した。

 彼女はショーンやゴットリーブとは対極的な派手好みの編集者であった。センセーショナルな路線に走り、カラー印刷と写真を「ニューヨーカー」に持ち込んだ。

 ブラウンは話題をふりまくのには成功したものの、けばけばしくなった「ニューヨーカー」に対して読者は賛否両論だった。常盤はブラウンは「ニューヨーカー」を厚化粧の雑誌にしたとして否定的な立場を取っている。

デイヴィッド・レムニック

 ただし、ブラウンの後を継いだレムニックに対しては、誰と食事したかが話題になったブラウンと違い、「ニューヨークタイムズ」のインタビュー(1999年6月28日付の記事)を受ける場所にコーヒーショップを選択するレムニックの気取らない姿勢を評価し、レムニックの成功を祈って『「ニューヨーカー」の時代』をしめくくっている。

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