2012.01.10(Tue) 本郷 明美

「日本人は何を食べてきたか」 第6回徳川慶喜
大政奉還後「食」においても自由を思い切り楽しんでいたであろう最後の将軍

筆者プロフィール&コラム概要

豚も羊も食べる将軍

 「豚一さま」

 密かに家来たちからこう呼ばれたというから、かなりお好きだったのだろう。

 豚一さまとは、徳川慶喜、江戸幕府第15代将軍のこと。あだなの由来は、ずばり「豚肉好き」だったから。「一」は慶喜が一橋家の出身であることから、つまり「豚肉好きな一橋さま」となる。

 今でこそごく普通に食べられる豚肉だが、江戸時代末期には貴重、というより日本人の一般的な食生活にはなかった。

 で、慶喜はいったい豚肉をどうやって食べたのか? 煮たのか焼いたのか、残念ながら記録には残っていない。外国の公使たちと洋食や、コーヒーなどを楽しんだという慶喜。当時としてはかなりのハイカラである。ひょっとして豚肉も衣をつけてカラリと揚げて、カツレツ風にしていたりして!?

 豚肉だけでなく、慶喜は羊肉を食べた可能性も高い。イギリス公使から慶喜あてに、羊の脛肉とハムが献上された記録があるのだ(『徳川慶喜家の食卓』)。

 果敢に獣の肉を食する、この特性のルーツは、実家である水戸徳川家にあるようだ。代々、牛を飼育して牛乳を飲んだり、バターを作ったお家柄。牛乳、バターもこれまた現在では一般的な食べ物だが、当時ほとんどの日本人には縁がなかった。ところが、水戸徳川家ではごく日常的に食べていたのだ。なんと慶喜の妹八代姫は、乳牛とその牛の飼育係とともに仙台藩へ嫁いだ(前出書)。乳牛とともに嫁入りとは優雅なような、風変りのような。そこには、食へのこだわりに加えて、慶喜や八代姫の父であり徳川家十二代目当主・斉昭の子どもたちへの深い思いがあった。

 斉昭が、一橋家に養子に出した慶喜へ出した手紙が数多く残っている。

 「黒豆は日に200粒づつ召し上がり、牛乳も上がり申し候よし」

(『父より慶喜殿へ---水戸斉昭一橋徳川慶喜宛書簡集』大庭邦彦編・集英社)

 牛乳はともかく、黒豆を1日に200粒! けっこうな量だが、慶喜は守っていたのだろうか?

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