社長の風景

気を休めたら絶対ダメ。
時代は常に動いていますから!

ロック・フィールド 岩田弘三

2010年03月11日(木) 週刊現代
週刊現代
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"デパ地下"に逸早く進出した総菜チェーン「ロック・フィールド」。主力の「緑の30品目サラダ」をはじめ、新鮮なサラダは連日売り切れる人気ぶりだ。健康4安心4安全をモットーに独特の嗅覚で常に新しい商品でビジネスを展開する岩田弘三社長(69歳)が、「食」に対する思いを語った。

 

神戸っ子
戸元町生まれの神戸育ち。サラリーマンの家庭に生まれました。5歳の時に弟と母を病気で亡くし、祖母、父と兄姉の5人暮らし。子供のころはガキ大将で、近くの山を走り回ったり、メリケン波止場から海に飛び込んだりして遊んでいました。

時代がどのように変わり、求められるものはなにか。 気を休めたら絶対ダメ。時代は常に動いていますから!いわた・こうぞう/
'56年兵庫県立東神戸高等学校中退。日本料理店で修業の後、'65年フランス料理店「レストラン フック」を開業。'72年株式会社ロック・フィールド設立、代表取締役社長に就任。'00年東証4大証一部に上場。全国主要都市の百貨店、駅ビルなどで8ブランド、約330の総菜店を展開。売上高約470億円
('09年4月期)

運命の出会い
小学校4年生の時に、近所に日本料理屋さんの一家が引っ越して来られて、そこの親父さんから私より2歳下の息子さんの遊び相手になってくれと頼まれ、いつの間にかそこに居候することになっていました。
いろいろなことを教わりましたね。休みの日には、和食や洋食の一流店に連れて行ってもらいました。このころから将来は食の仕事をしたいと思うようになりました。

高校中退
神戸小学校、神戸中学校と進学し、その後、定時制の高校に通いながら親父さんの日本料理店で働きはじめました。
一人前になろうと思っていたから朝早くから働いていましたが、店が忙しい夜に入れないので"腰を据えて働こう"と思い高校を中退。

独立
昭和30年代というと、あらゆるものが欧米化していった時代。日本料理の世界に入りましたが、徒弟制度が強く閉鎖的に感じており、自分はステーキやハンバーグなどの欧風料理をやってみたいと考えはじめたのです。日本料理店は3年で辞め、姉とお好み焼き屋をしたり貸本屋をしたりして資金を貯め、20坪足らずの自宅で小さなステーキの店を開きました。

総菜文化
29歳の時に、外食産業の実情を知ろうと、約1ヵ月間欧米の主要都市の視察旅行に出かけました。そこで欧風の総菜、いわゆるデリカテッセンという食文化に出会いました。ヨーロッパの各都市では、それぞれの国の食文化を象徴するような総菜が店先に並び、人々が買い求めている姿に衝撃を受けました。日本はまだ、総菜を買って家で食べるという中食のライフスタイルがあまりなかったので、これを日本でやったらあたるのではないかと思いました。

デパ地下
ステーキ店の常連だった神戸大丸の社員の方に相談して出店をお願いし、総菜事業に進出することになった。「レストランの味をご家庭に」と、店で出していたビーフシチューやグラタン、スモークサーモンなどからはじめました。でも、そのころのデパートの食品売り場は、味噌や醤油の特売をしていて、塩鮭は売れてもスモークサーモンを家で食べる習慣はない、といった状況で、全然売れなかった(笑)。

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