民度革命のすすめ 著者:紺野大介

第1章 幕末の日本人を想う
日本人の民度革命『選択』1 2007年2月

 海外へ度々行き、外国人との交際も深まり、見識ある方々の自宅に招かれると、「日本とはどのようなお国か?」と聞かれることがしばしばあった。或いは「何を大切に生きているのか?」といった会話も交わされる。そして私の経験によれば、人物になるほど自国の歴史や文化を深く認識しており、歴史の「光と影」を清濁あわせ呑み、誇りを持って説明する。歴史ある中国、ヨーロッパの国々も、歴史のあまりない米国においても。

 振り返って我々日本人はどうであろうか? 私は専門とする自然科学や趣味の話はできても、わが国の文化や歴史を充分に説明できなかった。というより外国人に対し日本という国家を「誇り」を持って説明できなかった—という方が正しい。それに我々の世代は日本という国に対し「誇り」を持てるような歴史教育を受けてきたであろうか。

 こうした懐疑と自省から理系に進んだ私も、遅ればせながら自国の歴史を知りたいと思うようになった。本業が繁忙でも、その気さえあればひとつの事柄、ひとりの人物を深く知覚することで、その時代や価値観といったものはかなり詳細に理解できる。私の場合、過去帳も半焼け状態で定かではないのだが、母方の実家の祖母から遠戚関係にあるらしいことを聞かされていた幕末の英傑・橋本左内を研究した。その理由は左内が近世日本を代表する傑出した政治家であったと思われることにある。そして具体的な形として1985年から約10年かけ左内15歳時の著作『啓発録』英訳と取り組んだのである。

 橋本左内は歴史教科書には「安政の大獄」で斬刑に処せられたとき僅かに名前が出てくる程度で他に記述がない。しかし生前、西郷隆盛が「吾、先輩において藤田東湖に服し、同輩において橋本左内に服す」と語り、二者の才学器識、自分の及ぶところひとつもなしと言わしめた圧倒的な人物。西郷が西南戦争で城山で自決した際、和服の中から7歳年下の橋本左内からの書状2通を後生大事に所持していた、知る人ぞ知る逸話もある。

 また処刑直後、川路聖謨、岩瀬忠震と並ぶ幕末の三賢奉行のひとり・酒井忠徳が「井伊大老が橋本左内を殺したるの一事をもって徳川幕府を滅ぼすに足れり」と言わしめたほどの傑物。また吉田松陰の弟子であった伊藤博文は、壮烈な最期をとげた橋本左内に対し墓碑に詩幅をささげ敬慕し、終生「左内先生の後学」と称した。更に『近世日本国民史』全百巻の大著を完成した徳富蘇峰は「橋本左内は日本が生んだ不世出の英傑であり500年か1000年に一度出るか出ないかの人物」と評したほどの逸材なのだ。英傑なるが故、藩主の命で若くして政治の表舞台に出、25歳の若さで藩主松平春嶽公の身代わりとなり刑場の露と消えたのである。

『民度革命のすすめ』
著者:紺野大介
東邦出版
定価2,940円(税込み)

◎内容紹介◎

「現代の橋本左内」との呼び声高い重量級識者による警鐘、箴言、希望、そして・・・
「3万人のための情報誌」として、高級官僚や自治体のトップ、上場企業などの経営者・管理職、そして学者・科学者などを読者に持つ『選択』誌上で好評のうちに50回の連載を終えた原稿を大幅加筆のうえ単行本化。40年間に60カ国を訪れて得た知識をもとに、日本人の「民度」の改革を提唱する熱い一冊。
日本で唯一人、清華大・北京大という中国トップに大学の現役教授職。
世界から診た「日本とは如何なる国か」を縦横無尽に語る。