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消えたプロ野球選手「あれからの人生」 輝きは一瞬だったかもしれない。しかし、確かにあの時、輝いたのだ・・・

2012年02月09日(木) 週刊現代
週刊現代

「ゲンちゃん」こと元巨人の河野博文(現在49歳)は、2年前、41歳だった妻を亡くした。がんだった。

妻をなくして気づいた

 日ハムで11年間プレーした後、'96年に巨人に移籍。その年、河野は最高のピッチングを見せた。長嶋巨人が勢いに乗れぬ中、天王山ともいえる8月に14試合に登板し、4勝1S、防御率1・86で月間MVPを獲得。この年、長嶋巨人は逆転優勝を果たし、河野は長嶋の「メークドラマ」の立て役者の一人となった。

 '00年に球界を去ったが、'07年冬、群馬の独立リーグからコーチの誘いが届く。乳がんの転移が見つかり、抗がん剤治療を始めたばかりの妻を放って行けないと悩むが、妻は「行ったほうがいい」と後押しした。亡くなったのはその2年後の夏だった。

 河野が群馬を拠点に無農薬野菜の栽培や新種の野菜の開発に従事しはじめたのはその直後だ。

「農業を選んだのは、現役時代に妻が、無農薬野菜を選んだりして、食事に気を遣ってくれたことが心のどこかに残っているからかもしれません。安心・安全でおいしい野菜をもっと広めていきたいと思っています」

 元巨人・赤嶺賢勇(現在53歳)。「沖縄の星」と呼ばれた高校時代の彼は、間違いなく特別な選手だった。

 沖縄県立豊見城高校時代、春夏連続甲子園出場を果たし、'76年のドラフト2位で巨人へ。

 しかし1年目に肩を壊し、'83年、公式戦の登板わずか4回で、自由契約になった。前年に結婚した夫人は妊娠中で、悲嘆に暮れる暇もなく、赤嶺は大手運送会社に就職。長距離トラックのドライバーに転身する。いまもトラックのハンドルを握る赤嶺の夢は高校球児たちに野球を指導することだと言う。

 赤嶺の友人が明かす。

「『できれば公立高校で指導者になりたい』とよく話しています。彼自身、県立の野球で鍛えられた男ですからね。野球の事を話すときはとても楽しそうですよ」

 前出の新浦がインタビューに答えてくれたのは、年に一度の巨人OB会の日だった。新浦は、会場にチラホラと集まった仲間を目で追いながら言う。

「結局僕らはね、野球なしには生きていけないみたいです。野球しかしてこなかったんだから」

 グラウンドでの輝きは一瞬だったかも知れない。しかし、情熱の火はまだ、燃え尽きていない---。

(文中敬称略)

「週刊現代」2011年12月24・31日号より

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