雑誌
「幻の手羽先はパクリ」
エスワイフード会長 山本重雄の創業秘話

不況に勝つ企業ルポ「世界の山ちゃん」前編

 新しい朝が来た 希望の朝だ/喜びに胸を開け 手羽先揚げろ/太陽の声に すこやかな夢を/この香る風に 世界を/それ やまちゃん だー

 総勢162人の社員が起立して社歌を合唱している中、私は一人、唖然としていた。メロディも歌詞も、どう聞いても『ラジオ体操の歌』の替え歌である。これは、本当に「社歌」なのだろうか・・・。

社員総会の会場でのカラオケ大会。歌いながら登場した社員が、山本重雄(左)に握手を求める(2月15日)〔PHOTO〕川柳まさ裕(以下同)

 2月15日、名古屋市内で「株式会社エスワイフード」の社員総会が行われた。居酒屋「世界の山ちゃん」(以下、山ちゃん)をチェーン展開する会社と言ったほうが通りがよいだろう。地元・名古屋ではよく知られた居酒屋チェーンだ。ここ数年、東京でも、背中に鳥の羽を生やし、「幻の手羽先」と書かれた旗を持ってピースサインする男が描かれた看板を、目にするようになった。

いまや人気の名古屋メシとなった「幻の手羽先」。山本重雄の柔軟な思考によって、この商品は生まれた

 正午から始まる社員総会の30分前に会場である山ちゃんの本丸店(名古屋市中区)のホールに赴いたが、信じがたい光景が広がっていた。平日の午前中から、社員が漁師の恰好で『兄弟船』を、あるいは金髪のかつらを被った女装で『大阪で生まれた女』を熱唱している。そこは、カラオケ大会の会場となっていたのだ。

 大きな蝶ネクタイをしたタキシード姿の司会者は、同社の教育本部のマネージャー・藪木寿一だ。社員教育の責任者がコスプレ社員をリードして、会場は爆笑の渦に包まれている。正直、「この会社、相当に変」と呆気に取られたが、まさに「変」であることが、山ちゃんという企業を読み解くキーワードであった。

 カラオケ大会が終わると、一転して厳粛な空気に包まれ、社員総会がスタートした。日の丸に向かっての国歌斉唱の後、社員全員で読みあげられたのは、「立派な変人たれ!」というスローガンのもとに謳われた「変宣言」であった。

〈我々は「変」であることを楽しみます/我々は毎日「変」を磨きます/我々はみんなに「変」を伝えます/我々は「変」であることを誇りに思います/我々は「変」な人たちを愛します/我々は「変」でみんなを幸せにします/我々は「変」で世界を変えていきます〉

 山ちゃんの社員は、この宣言文が掲載された「変人パスポート」を常に携行することを義務づけられている。エスワイフードの社長・山本裕志(50)は、「変人」の意味について、こう説明した。

「弊社の目指す『変』という言葉には、『ユニークで面白いこと』と『変化していくこと』の二つの意味があります。お客さまに満足してもらうため『明るく、元気に、ちょっと変』を追求しているのです」

 社員総会の場面に戻ろう。店舗の成績発表や会長の訓示などを経て、締めくくりに歌われたのが冒頭の社歌だった。『幻の歌』というタイトルのこの歌には、「幻の手羽先」を引っ提げ、世界進出を果たすというエスワイフードの夢が込められているという。だが、そこから汲むべき意味は、もう一つある。

 一般的に、創業者が思い入れたっぷりに法外なカネをかけて製作する社歌を"パクリ"で済ませた精神にこそ、名古屋ローカルの居酒屋を東京に進出させ、売り上げ低迷が続く居酒屋業界の中で、数少ない成功店となった秘訣があるのだ―。

手羽先の元祖も憎めない男

 実際、エスワイフードの業績の伸びは目覚ましい。特に関東進出を果たした'03年以降は急成長し、6年間で年商は51億円増の78億円('09年8月期決算)に達した。現在、山ちゃんは名古屋33店舗、関東20店舗、その他の地区5店舗の、計58店舗を誇る。関東進出の前年には名古屋のみに20軒しかなかったことからも、この数年での成長の著しさが分かる。

「世界の山ちゃん」の拠点・本丸店(名古屋市中区)。武道場もあり、幹部社員は稽古が義務づけられる

 この快進撃を引っ張ってきたのが創業者の山本重雄(52)である。居酒屋業界で彼ほど顔の売れた創業者もいないだろう。

 背中に鳥の羽を生やしたマスコットキャラクター「鳥男」は、山本がモデルだ。'09年9月、社長の座を実弟の裕志に譲って会長職に就いたが、代表権は依然として兄の重雄が持つ。新規出店など重要事項の決定は山本に一任されている。

 立派な変人―創業者の山本が推奨する価値観である。「世界の山ちゃん」という店名、看板に描かれた「鳥男」のイラスト、「幻の手羽先」という目玉商品のネーミングに至るまで、山本が"変人"だからこそ実行できたアイディアであり、そのすべてが当たってきた。

 実は、これらのアイディアは、山本のオリジナルではない。周囲の人間が何気なく言ったことや使ったものを山本が「おもしろい!」と感じ、即座に商売に取り入れたのだ。そもそも目玉商品の手羽先の唐揚げでさえ、社歌と同じ"パクリ"からスタートしたのである。

 手羽先の唐揚げといえば、今や"名古屋メシ"の代表メニューの一つに数え上げられているが、編み出したのは、名古屋の鳥料理屋「風来坊」である。'63(昭和38)年に風来坊1号店をオープンさせた大坪健庫(80、現「風来坊チェーン会」会長)が、それまでスープの出汁を取るのに使うくらいであった手羽先を試しに揚げてみたのが始まりだった。大坪は、懐かしそうに振り返った。

「当時、私は1日30羽くらいの鶏を畜産業者から買っていたんですが、ある日、注文の連絡ミスがあって、仕入れができなかったんです。困っていた時、鶏の生産工場の片隅に山のように積まれた手羽先が目に入ってきた。『この手羽先、どうすんの?』と私が工場長に訊くと、『捨てる』と言うんで、1kg5円で買った。店で唐揚げにし、タレを塗って出したら大好評だったわけですよ」

 手羽先の唐揚げは爆発的な人気を呼んだ。風来坊はたちまち有名店となり、大坪の弟子たちが次々に暖簾分けして独立した。現在、風来坊のチェーン店の数は、愛知県や岐阜県など70店舗を超える。

 しかし全国的にみれば、風来坊の知名度は山ちゃんに比べて低い。風来坊が東京に進出していないのに対し、山ちゃんは東京に15店舗を構え、テレビを中心にマスコミの露出度は圧倒的に高い。消費者の多くは「手羽先の唐揚げの元祖は山ちゃん」と勘違いしているだろう。この状況について感想を求めると、大坪は大いに不満だと声のトーンを荒くした。

手羽先の唐揚げを初めて世に広めた「風来坊」チェーンの大坪健庫会長。山本の二番手商法を語った

「"手羽先の唐揚げ"と名付けたのは私ですから、そりゃあ『世界の山ちゃん』が元祖と見なされていることには迷惑しています。商標登録をしておけばよかったと後悔しているくらいですよ」

 だが、調べたところ、山本重雄自身がインタビューなどで「自分の店が手羽先の元祖」などと語ったことはない。彼はどのメディアにも「元祖は風来坊さんで、私は真似をしただけです」と語っている。

 だから大坪も、山ちゃんとの間で事を荒立てようなどとは考えない。

「山本さんは、いい男ですよ。もし彼が『うちが元祖』と語り出したら法的手段でも取ろうと思っていました。しかしテレビでも『風来坊さんが元祖』と言ってくれるんですから、憎めませんよね」

 山本重雄という経営者の強みはこのあたりにある。自分が気に入ったことを即座に取り入れ、やや手を加えて独自の路線にしていく。そして真似したのであれば、そのことを公表し、低姿勢を貫く。この柔軟性こそ、山本重雄が居酒屋チェーン業界の風雲児となった最大の所以であろう。その成功までの軌跡は、「変人」の名に違わず、波瀾万丈なものだった。

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