沖縄防衛局長「オフレコ報道問題」を考える。官僚に都合のいい「匿名」に頼るからマスコミは信用されなくなった

 防衛省の沖縄防衛局長がマスコミ各社との懇談で不適切な発言をした問題で更迭された。この懇談は非公式とされ、発言内容は報じない前提の、いわゆる「オフレコ懇談」だったが、沖縄の地元紙、琉球新報が局長の実名入りで報じたために公になった。

 この「オフレコ破り」をどうみるか。

 私はかつて原発事故を起こした東京電力の賠償問題に絡んで資源エネルギー庁長官のオフレコ発言を5月14日付け当コラムで報じた。続く17日付けコラムで、オフレコについて私の基本的考え方をあきらかにしている。

 今度の一件では、東京新聞の署名コラムで、タイトルに掲げたとおり「オフレコ破りを支持する」私の立場をあきらかにした。するとツイッターや手紙などで、思いのほか多くの反響があった。そこで、あらためてオフレコ問題を考えてみる。先のコラムと合わせてお読みいただきたい。

官僚に都合のいい「オフレコ」

 まず官僚や政治家はオフレコを好む。とくに官僚はテレビカメラも入れた会見室での記者発表以外、原則として記者への対応はぜんぶオフレコといってもいいくらいだ。これは案外、一般に知られていないのではないか。

 日本の記者の常識では、官僚と1対1の取材になったら、官僚が「これはオフレコで」なんていちいち断らなくても、相手の実名を伏せるのは当たり前になっている。

 わざわざ「日本の」と断ったのは、けっして世界の常識ではないからだ。世界の新聞や通信社は政治家ならもちろんだが、官僚であっても実名を入れるケースが多い。かつて日本に進出した米系通信社が官僚もなにも取材相手はぜんぶ実名で書くように記者に要求し、日本の慣習と違うので、記者たちが「それでは記事が書けない」と頭を抱えていた例がある。欧米メディアも匿名で報じる場合はあるが、その都度「○○は匿名を条件に取材に応じた」などと断り書きを入れたりしている。

 官僚がなぜ匿名を求めるかといえば、そのほうが都合がいいからだ。

 まず報道によって不都合な事態が起きても、自分個人の責任が問われずに済む。責任はあくまで役所が引き受けるのだ。もっと重要なのは、多少踏み込んだ発言をしても匿名であれば許されると思っている。官僚はオフレコという手法を使うことで、舞台裏に隠れて自分の素顔をさらさずに、役所に都合がいい相場観をズバズバと記者に染み込ませることが可能になるのだ。

 普通の取材であっても、記者と暗黙の了解によって匿名性が守られているが、オフレコ懇談となると、実名どころか発言内容もカギカッコ付きの直接引用がされない前提になる。では「まったく懇談内容を書いてはいけないルールなのか」というと、実情はまったく違う。

 実は、官僚は書いてほしいのだ。ただし自分の名前と話をカギカッコで直接引用しないという条件付きで。ここがオフレコ問題の核心である。

 相手にオフレコと言われたら「まったく書いてはいけないのだ」と思い込んでいる記者もいる。それはナイーブにすぎるというか、はっきり言って分かっちゃいない。官僚や政治家がなんで記者に話すのか。政策や政局を自分の都合がいいように誘導したいからだ。「オフレコ」と断るのは、内容は記者の地の文章で書いてもいいけど「おれが喋ったとは絶対、分からないように書いてね」という意味なのだ。

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