【番外編1】清盛が広島に残した巨大な謎---清盛の二大事業、「厳島神社」と「音戸の瀬戸」を結ぶ糸。その中間に浮上する瀬戸内海の秘密。

 先週までの本編をご愛読いただき、ありがとうございました。今週からは、12月17日発売の書籍版『経営者・平清盛の失敗 会計士が書いた歴史と経済の教科書』に諸事情により掲載できなかった話を、いくつかご紹介いたします。

清盛が構想した世界遺産・厳島神社

 2012年の大河ドラマ「平清盛」の放送にあわせて、神戸市とともに盛り上がっているのが広島県です。

 その広島でも、特に大きく盛り上がっている地域が2つあります。

 ひとつは「安芸の宮島」(廿日市市)です。

 清盛は安芸の宮島にある厳島神社(*1)を平家の守り神とし、自身もたびたび参拝していたのです。

 平家一門が厳島神社に奉納した「平家納経」は、いまでも人々の目を奪う絢爛豪華さです。また、清盛が構想したといわれる"海中に立つ大鳥居"や"多くの橋でつながる壮麗な海上社殿"は、世界でも例を見ない景観としてユネスコの世界文化遺産にも登録されています。

 実は、清盛が厳島神社に注目したのは、その信仰心からだけではありません。

 船を泊めるのに絶好の場所であった厳島は、瀬戸内海の海上交通の要所という一面があったのです。

 そのため、清盛の時代の後にも厳島は争奪戦の舞台となっており、戦国時代には毛利元就が陶晴賢を激戦の末に打ち破った「厳島の戦い」が起きています。

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら