内田樹「呪いの時代に」 ネットで他人を誹謗中傷する人、憎悪と嫉妬を撒き散らす人・・・・・・異常なまでに攻撃的な人が増えていませんか

2012年01月11日(水) 週刊現代

週刊現代経済の死角

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 '08年に秋葉原で無差別殺傷事件を起こした加藤智大の場合がその典型です。加藤はある日何かを「呪った」のだろうと僕は思います。呪いの標的となったのは、具体的な誰かや何かではなく、彼が「本当なら自分が所有しているべきもの」を不当に奪っている「誰か」です。彼の嫉妬や羨望が身体を離脱して「呪い」となったとき、それは現実に人を殺せる力を持ちました。

 繰り返しますが、攻撃性は現実の身体に根拠を持つ限り、それほど暴力的にはなれません。攻撃性が破壊的暴力に転化するのは、それが現実の身体を離脱して幻想のレベルに達したときです。

 だから、呪いを制御するには、生身の、具体的な生活者としての「正味の自分」のうちに踏みとどまることが必要です。妄想的に亢進した自己評価に身を預けることを自制して、あくまで「あまりぱっとしない正味の自分」を主体の根拠として維持し続ける。それこそが、呪いの時代の生き延び方なのです。

 正味の自分とは、弱さや愚かさ、邪悪さを含めて「このようなもの」でしかない自分のこと。その自分を受け容れ、承認し、愛する。つまり自分を「祝福」する。それしか呪いを解く方法はありません。

 先に述べたように、呪いは「記号化の過剰」です。それを解除するための祝福は、記号化の逆で、いわば「具体的なものの写生」です。世界を単純な記号に還元するのではなく、複雑なそのありようをただ延々と写生し、記述してゆく。「山が高く、谷が深く、森は緑で、せせらぎが流れ、鳥が鳴き・・・・・・」というふうにエンドレスで記述すること、それが祝福です。

 人間についても同じです。今自分の目の前にいる人について、言葉を尽くして写し取り、記述する。祝福とはそういうことです。

 そうやってすぐにわかるのは、百万語を費やしてもただ一人の人間さえ記述しきれないということです。記号で切り取るには、世界はあまりに広く、人間はあまりに深い。その厳粛な事実の前に黙って立ち尽くすこと、それが祝福の作法だと僕は思っています。

「週刊現代」2011年12月10日号より

10月18日(木)18:30~緊急開催!
内田樹×小田島隆×平松邦夫×イケダハヤト
「ポストグローバル社会と日本の未来を考える第2弾」


内田樹、小田嶋隆、平松邦夫を中心としたトークセッションで大好評だった「ポストグローバル社会と日本の未来を考える」に今回は20代からイケダハヤトが参加。日本の将来、政治の混迷、アジアの混乱、そして若者たちの働き方、生き方について、世代を超えて議論します。

【開催日程】
・日時:2012年10月18日(木) 18:30~20:30
・場所:株式会社講談社本社 6階ホール 地図
・会  費:2,000円
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