内田樹「呪いの時代に」 ネットで他人を誹謗中傷する人、憎悪と嫉妬を撒き散らす人・・・・・・異常なまでに攻撃的な人が増えていませんか

2012年01月11日(水) 週刊現代

週刊現代経済の死角

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 麻薬中毒者がより強い刺激とより多くの投与量を欲するようになるのと同じく、呪いを吐く人々も、その言葉をいっそう激烈なものにしてゆくようになります。症状がさらに進むと、攻撃したり、破壊したりする必要がどこにあるのか誰も理解できないものに対してさえ、「誰かがそれを大切にしている」という理由だけで標的にして、唾を吐きかけ、踏みにじらずにはいられなくなる。

 呪いを発する人間の末路は、だから麻薬中毒者と同じように哀れです。攻撃的な言葉は相手の生きる気力を奪うだけでなく、それ以上に、自分の生命力も傷つけるからです。他人への呪いというのは、自分にも必ずはね返る。

 かつて人々は、呪いに対してきわめて敏感でした。扱いの難しいものであり、劇毒だということは誰でもわかっていた。

 確かに呪いは驚くべき効果を上げ、強烈な全能感をもたらすけれど、同時に代償として、それを発する者の生命力も奪い去ってゆく。そのことを中世までの人たちは常識としてわかっていました。呪いを発するにも抑止するにも専門的な知見と技術が必要だ、ということをみんな理解していた。

 でも今は、誰もそんなことは知りません。呪いなんて迷信だと思っている。だから、これほど危険なものが日常生活の中で平気で蠢いているのです。危険に対する耐性も、自己防衛の方法も知らない子供たちが、平気で呪いの言葉を弄んでいる。それは、日本人が生物としての原初的な感覚と常識的な判断力を失ったせいだと僕は思います。

 攻撃性が野放しになった理由の一つは、自尊感情が満たされることを、人々があまりに求めすぎているからです。多くの人は、自己評価と外部評価の間に歴然とした落差があります。自己評価は高くても、周りは誰もそれを承認してくれない。この評価の落差が人々を不安にしています。

 かつては家庭でも学校でも、子どもには「身の程を知れ」「分際をわきまえろ」という教育がなされました。他者との関わりの中で自分に何ができるか、何が期待されているかを基盤にして、自己評価を組み立てるようにと教えたのです。

祝福せよ

 でも、今はそうではない。人々は「あなたには無限の可能性がある」と持ち上げられる一方で、社会的にはさっぱり評価されない。現在のような劣悪な雇用環境の下で、自己評価が高い若者たちは必要以上に苦しんでいます。

 この高すぎる自己評価と低すぎる外部評価の落差を埋めるために、多くの人々が呪いの言葉に手を出すようになる。他人が傷つくさまや他人の評価が下がるのを見ることで、溜飲を下げる。でも、一度その方向に踏み出すと、もう止まることができなくなります。

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