雑誌
大研究シリーズ 人生、最期が肝心
死に損なわないために

「いい時に死にたい」それはいつなのか 人は何歳で死ぬのが幸せなのか
本当のところ、家族はどう思っているのか 誰も行きたくない「葬式」

 苦しまずにポックリ逝きたい。家族に迷惑はかけたくない。誰もが口を揃えるけれど、漫然としていては「幸せな死」は叶わない。納得して人生の幕を引くために、知っておきたい厳しい現実がある。

もう死にたい、でも死ねない

山田太一氏は「死は人間の条件。常に物語の背景にあります」と語る

「このところ友人や好きだった人が相次いで亡くなったため、ふと『自分は取り残されているんじゃないだろうか』という気になることがあります。

 小林旭の歌に、♪いいやつばかりが先にゆく どうでもいいのが 残される(『惚れた女が死んだ夜は』)

 というフレーズがありますが、この歌の通り、亡くなるのは世の中に必要な人ばかりで、私はどうでもいいから生き残っていると思う時があるんです」

 こう語るのは、脚本家の山田太一氏(77歳)だ。『岸辺のアルバム』など、多くの作品を通して人の命を見つめてきた山田氏のような人物でさえ、はたと立ち止まり、そして悩む。それが、死という問題である。

 あなたは、自分の「死に時」を考えたことがあるだろうか。家族や周囲に迷惑をかけずに逝きたい。沢山の人に惜しまれながら、盛大に送られたい。あるいは、ひっそりと消えるように—。理想の死は人それぞれかもしれない。しかし、家族を煩わせたり、みっともない思いをさせる「死に損ない」にはなりたくない、それが人情だろう。

 作家で書誌学者の林望氏(62歳)は最近、妻と散歩をしながら、死について話すようになった。

「若いころは、死は抽象的な概念に過ぎないですが、還暦も過ぎると、身近に死ぬ人も出始める。そうすると、絵空事じゃないんだという気になります。

 宗教や哲学は、死という不条理に折り合いをつけるために生まれた。しかし自らの死については、誰かの考えを借りるのではなく、結局は自分で受け止めなければいけないんです」

 幸せな最期を迎えるには、どうすればよいのか。その日のために、すべきことは何なのか。いくら考えても、結論は見出せない。結局、真剣に死と向き合うことのないまま年齢を重ね、不本意な最期を迎える人も少なくない。