震災で動き始めた取引所再編東証・大証統合で本社は大阪に?

2011年04月27日(水) 磯山 友幸
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「首都圏機能はいい形で分散されるのが好ましい。東京への過度な集積は好ましくない」と会見で石原氏は強調した。首都を東京に残したまま、一部の首都機能を分散するという石原発言は、これまでの東京都の姿勢を大きく転換させたものだ。政府が長年にわたり議論してきた首都機能移転について、反対姿勢を貫いてきたのは東京の地盤沈下を避けたい東京都だった。 

 当然ながら、東証と大証の統合話を進めるうえで、議論になるのが「本社」の場所だ。斉藤・米田両社長の腹案で共通するのは、持ち株会社の下に、デリバティブ取引所(大証)と現物株取引所(東証)をぶらさげること。そうなると、持ち株会社をどこに置くかが焦点になる。世界の取引所ビジネスの趨勢はデリバティブ重視で、将来をにらめばデリバティブ取引所(大証)が主導権を握るのが"流れ"。

 だが、「プライドが高く、役所の中の役所のようなカルチャーだ」と中堅幹部自らが自戒するほどの東証は、持ち株会社も当然、兜町の東証本館に置かれるものと信じ切っている。 

 そんな中で、東京の主から「出て行って構わない」と言われたことは、東証の"役人"にとっては後ろ盾を失ったも同然だったわけだ。斉藤社長自身は野村証券の出身で、住友ライフ・インベストメントや産業再生機構の社長を務めて、東証社長に就いた。「東証で育ったわけではない斉藤さんは、本社の場所などまったく拘らないだろう」と兜町では見られている。 

 まして、東京直下型地震への懸念など、危機管理の観点から出てきた大阪移転には、なかなか抵抗する論理が出てこない。日本の金融先物の原点は大阪・堂島の米相場だ。取引所である堂島米会所ができて280年余りがたつ。米相場というと現在の商品取引所の原点と思われがちだが、当時の米は実質的な通貨でもあった。いわば金融先物取引所の原点が大阪にあったと考えられるわけだ。大震災を機に日本の原点を見直すという点でも、大阪に金融市場の中心を再興することは荒唐無稽な話ではない。 

 大震災の後、東京からひっそりと1つの取引所が姿を消した。東京穀物商品取引所が日本橋蛎殻町にあった取引所本社ビルを売却、近くの貸しビルに移転したのだ。取引は東京工業品取引所のシステムに移行。組織は残っているものの、事実上、東京工業品取引所と統合する格好になった。 

 東穀取は売買高の急減で業績が大幅に悪化、このままでは存続が危ぶまれている。また、軒を貸した東京工業品取引所自体も取引高が大幅に落ち込んでおり、経営の先行きが見えなくなっている。実は、東工取は1年以上前から大証に統合を申し入れているが、話は進んでいない。 

 民主党政府が総合取引所構想に熱心なのは、危機に陥っている2つの取引所を救済する狙いもあった。東穀取は農林水産省の傘下、東工取は経済産業省の傘下で、それぞれトップは両省からの天下りだ。お荷物になった取引所をまだまだ懐が豊かな証券取引所に救済させようというのが、両省や民主党政府の本音だった。 

 証券取引所は金融庁が所管で、三つの省が三つの法律でバラバラに監督してきた。それらを統合して総合取引所にするには法律と監督官庁を一本化するのが前提だが、「農水も経産も、あくまで自分たちの権限を残すことに執着している」(金融庁幹部)ことから、話が進んでいない。 

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