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 このように、「情報化」の進行まっただ中の今、国の異変や日本経済の異変を補って余りあるかもしれない、可能性に個人は開かれていることをもっともっと意識する必要があると思う。

 国や日本経済の没落が、個人の没落ではない可能性があることを私は意識していきたいと思う。私が、国や日本経済に関する論壇に余り興味を示さない理由はここにある。国や経済のことをとやかくいうよりは、個人がもっともっと力をもてたり、活躍できたりする方法をシェアしていくほうが、建設的ではないか? という思いがある。

 今の日本の将来を危ぶむ論陣をはる人々は、あまりにも個人の可能性を低く見積もりすぎではないのか? と感じる。裏をかえせば、私が個人の可能性を高く見積もりすぎではないか? というのももちろん言えるのだが、情報化の進行により観察された露出社会の現場を観察&体験していても、やはり個人の可能性を感じざるをえないのが実感だ。

 以前雨宮さんが「生きさせろ!」論陣をはった。国や企業に社会保障の充実や正社員化を訴える運動だ。私はそういうのをみながらも、なぜ「生きてやる!」じゃないのか、と思いを強くしていた。今さら、国に社会保障を求めたり、正社員になりたいって、時代錯誤もご勘弁してくれよという思いがあった。

 むしろこうだろう。

 あんまり稼いであげないかわりに、国に税金をあんまり納めてあげない。社会保障は自分たちでできる範囲でやっていく。正社員になれなくてもいい小さな創職をしていって個人で助け合っていきていく。

 これこそが、情報時代の個人の可能性を信じる者の、指し示す展望ではないのか?

 むろん、これに対しては賛否両論いろいろあるだろう。「強者の議論ではないか。」など。でも、このような見解もあってもいいじゃないか。

 今の日本では、世代論には限界があることを意識する必要がある。むしろ嗜好や趣味を同じくした部族ごとの意見というのを当事者が自分たちの部族を観察して表現していく必要があると思う。だから、私は自分が所属している部族のことを言葉にしているという意識をもっている。もちろんこれが一般論だなんて考えていない。

 ただ、一部の部族の考えが他の部族にももしかしたら参考になるかもしれないという思いで表現活動を行っている。私は、自分の周りの人々が将来に希望をもっていろんな活動をしているのをみているから、余りにも、将来を危ぶみ、個人の将来までもが危うい論調が世の中で多くなっていることに対して、気分を悪くしている。

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