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「『スティーブ・ジョブズ』最後の秘話 ジョブズがiPadに入れていた唯一の本」 佐々木俊尚×井口耕二Vol.3

vol.2はこちらをご覧ください。

ハードスケジュールで綱渡りの刊行

佐々木: 緊急出版ということで、翻訳は大変だったんではないですか?

井口: とにかく時間がなかったですね。普通に考えてこの厚みだったら、8、9ヵ月ください、というくらいの分量です。それが、もらったのが7月頭からですからね(笑)。

佐々木: 日本語で言うと文字数はどのくらいありますか?

井口: 上下巻合計で15万字くらいですか。普通のノンフィクションの3冊分くらいです。それを3ヵ月でやったのです。

 翻訳の世界では一般に時間がない場合は人数を掛けて分担してやるんですが、それをやるとどうしても言葉は一人ひとりの感覚が違いますから、ばらついてしまうんですね。それで登場人物の性格が何だか揺らいだり、非常に気持ち悪いことになるので、できたら避けたい。

佐々木: 僕はてっきり共訳というかチームを作って翻訳をしているのだとばかり思っていましたが。

井口: そういう話も出たんですが、とりあえず一人でスタートしてみて、半月なり一ヵ月なりやってみて、これはどうしても間に合わないというときには考えましょう、となった。チーム制でやると、どうしても質は一段落ちざるを得ないので。

 結局、私一人で作業時間を延ばすことで対応した。普通は実際に仕事をしている時間が1日6時間くらいで、それ以外に何だかんだの雑用があって8時間くらいになって回っていくんです。今回は1日当たり10~12時間、長いときには14時間くらい作業をして、極力休み時間や睡眠時間を削ったり週末の休みをなくしました。

 普通は週5日×6時間に対して、そのペースだと2.5倍くらいの時間がとれる。3ヵ月を2.5倍すると7ヵ月くらいになって、8、9ヵ月欲しいところですからギリギリ何とかなるかな、というところです。

佐々木: 僕も物書きの仕事をしていますけど、パソコンに向かって原稿を打ち込んでいると、6時間くらい作業するともう煮詰まって、もう文字を見るだけで吐き気がするようになってきますね。

井口: 途中でため息を吐きながら「休みたい!」と思いながらも「もうちょっと頑張らないと」と思ってやっていました。一旦休んでしまうとどんどん休みが増えていく。効率や体力が落ちていくスピードを見ながら、あまり最初から頑張りすぎると落ちすぎて途中で倒れてしまうので、ゴールを見ながら落ちかけると少しペースを落としてみたり。

佐々木: 第一章から逐次的に訳していかれたのですか?

井口: ええ、順番に訳していきました。そもそも、後ろのほうの原稿がまだきていませんでしたから。

『スティーブ・ジョブズ I』
ウォルター・アイザックソン(著)、井口 耕二(翻訳)
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佐々木: でも、読んでみると上巻よりも下巻のほうがテンションが高いように感じますね。翻訳の影響もあるんじゃないかと思ったのですが。

井口: 全体に、後半のほうがいい話が多いので、そういう印象になるのかもしれませんね。とくに上巻の前半は、子ども時代の話だったりしてゆったりしているところもありますから。

佐々木: ちなみに、著者のアイザックソンの前著「アインシュタイン その生涯と宇宙」の翻訳は評判悪かったですね。

井口: 大きな声では言えませんが、「機械翻訳じゃないか」なんてかなり叩かれたみたいですね。前著は原著が出てから日本語版が出るまでに年単位で時間があったんですが、その件があったので、とくに今回は世界同時発売ということですから、「いったいいつ原稿がきたのか知らないけど、きっと時間がないはずだから人海戦術じゃないか」なんて言われていましたね。

佐々木: 前著は機械翻訳みたいな文章になっていてみんな驚いた。「何だこれは」と騒いでいたら、Amazonのレビュー欄で訳者の方の一人が「これは出版社が勝手に機械翻訳をやったんです」とばらしてしまったというおそろしい話です。日本の出版業界もそこまできたのかという話になりました。

井口: 結局回収騒ぎになりましたからね。回収して8月だかに修正したものが出たように聞いています。どちらの版も読んでいないので、何とも言えないのですが。ジョブズの本の前書きで「ちょうどアインシュタインの本を書いている途中でジョブズから伝記を書いてくれと言われた」と書いてあるのですが、まさしくそういう事情なんですが。

佐々木: この本についてはいろいろネットで盛り上がっている話題がある。そこは聞かないといけないだろうと思うんですが、「ブックデザインがゴテゴテしすぎじゃないか」という話が出ていますが、その辺はどうですか。

井口: 私はデザイナーじゃないのでその辺はよくわからないのですが、一つは日本語版は帯を付けていますが、この帯に文字が入っているのでそれがうるさいということなんでしょうね。でも、それは帯を外せばいいといえますね。

佐々木: アイザックソンが前書きで言っているのは「中身については一切任せるから、好きなように書いてくれ。その代わり表紙だけは見させてくれ」ということで、この表紙はジョブズのデザインなんですかね。

井口: そうらしいですね。中でハッキリそう書かれているわけではないので、私も明確なことは知らないのですが、そういう噂はありますね。

佐々木: これは、帯を外すと原著とほぼ同じ状態なんですか。

井口: いや、もう少し顔が大きくトリミングしてあって、日本版では手が全部写っていますけど途中で切れているんです。それと上のところはもう少し文字が小さいですね。「Steve Jobs」と小さくあって、右側に著者の名前があるような形です。たしかに英語版のほうがスッキリしていると言われるとその通りですね。日本語版だと、英語を入れて日本語を入れて著者を入れて訳者を入れて、となりますから、どうしても情報量が増えてしまう面があります。

佐々木: さすがに帯を付けないわけにはいかないですからね。新書を除くと今は帯があるのが普通でしょう。

井口: 帯には賛否がありますし、帯なしでいく方向性だって出版社さんの英断で選択肢としてないことはなかったのでしょうね。ただ、ジョブズという人を知っている人は帯がなくてもこの顔を見た瞬間に「あっ、ジョブズだ」とわかりますが、そうでない人は顔写真を見てもわからないし、スティーブ・ジョブズといっても「誰それ?」という反応でしょう。ですから、帯を見て中身をパラパラ読んで「ああ、この間から話題になっていたあの人の本なんだ」という話になる、というのもおそらくあるのでしょう。

佐々木: どのくらいの層にまで訴求させようかという問題で、そこはマーケティングの判断でしょうから難しいところですし、まあ買ったら帯を外せばいいじゃん、という話ではありますね。それともう一つは、二分冊にしたのはなぜなのかという話なんですが。

井口: これはもう、翻訳書でこの厚さだったら二分冊が普通ですね。下手をしたら三分冊でもおかしくないくらい分量があります。二分冊にすると割高になることは事実で、たしかにこれを一冊にしたら少し安くできるかもしれません。しかし元々この大きさでこの分量でこの装幀でハードカバーということなら、私は上下巻で5000円でおつりがこないんじゃないかと思います。それが4000円でおつりがくるというので、かなり安くするように頑張りました、という話を講談社さんから聞いてます。

佐々木: たしかに「値段が高い」という話は出ていて、アメリカでKindle storeで買うと12~16ドルくらいで、今の円高のレートで買うと1000円くらいで買えるという話で。日本版はいくらでしたっけ?

井口: 一冊1995円ですから、上下巻で4000円弱ですね。

佐々木: なるほど、たしかに高いですね。でも、アメリカに比べると日本の本は高いと文句を言っている人はたくさんいるんですけど、これは間違いです。なぜかというと、今は単純にアメリカの本が安くなりすぎているんです。元々日本は本が安いということで有名だったんですよ。

 アメリカでこれと同じくらいの本を買うと、通常は3000円くらいしたんです。アメリカでは新刊本というのはハードカバーでしか出なくて、新書も文庫本もないんです。ペーパーバックはあるけど違う系統だし。だからアメリカで本を買うと3000円くらいするけど、日本では新書や文庫本で新刊があり単行本だってわずか一冊1500円くらいで出ているというのは、日本の本は安いということなんです。

『スティーブ・ジョブズ II』
ウォルター・アイザックソン(著)、井口 耕二(翻訳)
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 だからこそ日本の出版文化は大衆化できて、多くの人が本を読むようになったというのは、戦後の出版業界の常識なんです。その常識で見ると、アメリカに比べて日本の本が高すぎるという批判は的外れです。これはちゃんと否定しておかなければならない。

 では今なぜ、アメリカの本に比べて日本の本の1900円が高く見えるのか。結局Kindleが出てきて電子書籍をものすごく安く売るようになったので、そこにアメリカの出版業界が引きずられてしまって、値崩れ状態になっているんです。普通に考えてこの程度の本が1000円で買えるわけがないので、まあ適正な価格がどのくらいかを考える必要があって、決して高くはありません、ということでしょうね。

井口: 日本の本の相場で考えると、たとえばこれが文庫化されたとして、上下巻ともすごい厚みになってしまいます。一冊千数百円になりますから、文庫本は安いというイメージがありますけど、それと比べてそんなに高いというわけではないでしょう。

 それと、仮にこれを一冊にすると、別の層からクレームがくるんでしょうね。厚すぎてこれをどうやって持ち運ぶのか、と。通勤時に読みたいのに、こんな分厚いものを毎日持ち歩けというのか、勘弁してくれよ、と。上下巻合わせると900ページ弱ですからね。

 1ページ当たり、そこそこ文字を詰め気味にして総ページ数を減らしてあるみたいですが、ゆったりした組み方をしていたら一冊500ページを超えていてもおかしくない分量なので。

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