カフェに溜まる文学青年たちが、女給の才能を
存分に開花させる
佐多稲子Vol.4

福田 和也

vol.3はこちらをご覧ください。

 稲子が、本郷動坂のカフェ「紅緑」に勤めることになったのは、偶然だった。

 稲子は、離婚した娘の葉子を引き取るだけでなく、祖母、継母、叔母までを養わなければならなかった。「たまたま街を歩いているときに張紙を見て、それで。その日、銭湯へいって髪を洗っての帰り道、『女給募集』って書いてあったかしら、その張紙を見てね。長い髪を肩に流した洗い髪のままでは相手に悪いな、と思ったんですけど、すぐ近所のことだしと、『洗い髪のままで失礼ですけど』って入っていったのね。そうしたら、その場で話は決って、次の日からでも来ておくれ、というようなことで働き出しました」(『年譜の行間』)。

動坂 本郷(東京・文京区)の動坂にあったカフェが、女給・稲子の人生を大きく変えた

 この「張紙」が稲子の人生を変えた。

 というのもカフェ「紅緑」は、中野重治、堀辰雄、窪川鶴次郎、西沢隆二(ぬやま・ひろし)、宮木喜久雄らが作った雑誌『驢馬』の溜まり場だったからである。

 『驢馬』は、室生犀星の後援を背景として設立された文芸誌で、中野重治以下、若き詩人、小説家たちが集っていた。創刊号には、芥川龍之介や萩原朔太郎も寄稿している。

遅くやってきたまばゆい青春時代

 得意満面の若者たちに『驢馬』を見せられた稲子は、「大変な雑誌」だ、と思ったという。

 不忍池の清凌亭で菊池寛や芥川龍之介、小島政二郎を客として迎え、給金が安くても本が読みたいと丸善に勤めた稲子にとって、同年輩の若い書き手たちとの交流が、楽しく、喜びに充ちたものだった事は、容易に想像できることだろう。

 青年たちも、この、文芸に理解のある女給に夢中になった。

 中野重治は、稲子の境遇、特に子供時代の苦闘を訊いて、小説を書くように強く勧めた。中野の強い勧めによって、稲子が書いたのが、『キャラメル工場から』である。

 堀辰雄は自分の小遣いをさいて、稲子のためにアテネ・フランセの月謝を払ってやった。稲子が詩人になるには、フランス語を学ばなければならない、と信じこんでいたのである。

 カフェ「紅緑」時代は、稲子にとって、遅くやってきた青春時代だった。その輝きはまばゆく、その資質、才能を開花させただけではなく、人生行路をも、大きく変えてしまったのである。

 文芸評論家、江藤淳はごく若い頃---湘南中学時代、石原慎太郎氏とともに、従姉の夫であった第一高等学校文科教授の江口朴郎の元を訪れ、史的唯物論について話を聴いたという---を除けば社会主義、共産主義、つまりは左翼的な思潮にたいして常に一線を画してきたが、昭和六十年一月文芸誌『新潮』誌上ではじまった連載、『昭和の文人』で平野謙、中野重治を扱っている。

 平野に対しては、戦時下でのふるまいも含めて、かなり批判的なスタンスを取っているが、中野にはかなり同情的、というより深く、大きな共感を抱いているように見える。

 例えば中野重治の詩、「雨の降る品川駅」について、江藤は次のように書いている。

 「どういうものか、私はこの『雨の降る品川駅』という詩が好きで、大学の講義で昭和初期の詩歌を論じたときにも、進んで取り上げたことがある。そのとき、学生の前でこの詩を朗読しているうちに、ある感動が胸に迫って一瞬読みつづけられなくなり、われながら少からず驚いたこともある。/それは、もとより私が、詩の中で謳われている『日本プロレタリアート』のイデオロギーに、いささかたりとも共感を覚えたためではない。

 イデオロギーではなく、『さようなら 辛/さようなら 金/さようなら 李/さようなら 女の李』という告別の言葉にこめられたあるラディカルな旋律が、突然思いも掛けなかった戦慄を喚び起したからこそ、私はしばらく朗読を中断したのである。/いま、あらためて読み直してみると、最初からこの詩のなかには、さほどのイデオロギー的抵抗を感じずに済むような、適切な距離の基軸が埋め込まれている。

 『さようなら』と呼び掛けられている『辛』も『金』も、『李』も『女の李』も、誰一人として日本人ではない。朝鮮人でありながら、同時に『日本帝国臣民』であることを強制されていたこれらの人々が、『日本天皇』に敵意を抱き、敬愛の念を持たないのは、きわめて自然というほかない」

 ここで江藤は、かなりきわどい語り方をしている。日本プロレタリアートのイデオロギーについては、まったく共感を覚えないといいながら、同時に日本プロレタリアートの代表的詩人である、中野重治の作品に「読みつづけられない」ほど感動している。思想的にはまったく受け入れないが、感性においては全面的に肯定する、といった事態は、許容されるのだろうか。

 この問いは、かなり厄介なものだ。

 もちろん、人はイデオロギーを超えて理解しあう事は出来るだろう。けれども、『辛』や『女の李』は、あきらかに戦前の日本を、そしてその国家を統治している天皇を打倒しようとしている。共産主義者である中野が『辛』の側に立つのは当然だとしても、天皇の臣下であることを引き受け、そして誇りにしてきた藝術院の会員である江藤は、しばしば天皇陛下の謦咳に接する機会にめぐまれている。その江藤が朝鮮の共産主義者の別離を謳った調べに感極まるとは。もちろん、そこにこそ文芸の神秘があるのだけれど。

 しかしまた一方で、中野にもまた、江藤と共鳴する響きがあった。転向した共産主義者である、中野重治は、戦後すぐに書かれた短編小説「五勺の酒」のなかで、中学の校長の口を借りて、戦後すぐに行われた全国巡幸について、こう述べているのだ。「移動する天皇は一歩ごとに挨拶すべき相手を見だすのだ。

 そうして、かぶつては取りかぶつては取りして建物のなかへはいつて行つた。歯がゆさ、保護したいという気持ちが僕をとらえた。(中略)なるほど天皇の仕草はおかしい。笑止千万だ。だから笑うのはいい。しかしおかしそうに笑え。(中略)僕はほんとうに情なかつた。日本人の駄目さが絶望的に自分で感じられた。まつたく張りということのない汚なさ。道徳的インポテンツ」。

 敗戦を迎え、『敵』であるはずの天皇に、無限の同情を覚える中野と江藤の距離はさほど遠くはなかっただろう。

週刊現代2011年11月26日号より

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