酒も肴も雰囲気もよくて、
安い東京三大居酒屋があるそうな

 東京三大居酒屋、というのがあるそうな。

 そうな、と云う語り口は、無責任だけれど、受け売りなので仕方がない。

 奥祐介という人が、私の酒方面というか、下町居酒屋方面の師匠であって、よい酒場はみんなこの人に教わった。日本で一番旨い、来々軒はどこだ、という研究もしている偉い人で、ちなみに今のところは、洲崎の来々軒が一番おいしいという。実際、行ってみたけれど、素晴らしかった。

居酒屋
酒肴を供する簡易酒場「居酒屋」の流行は、海運が発達した江戸時代に始まったとされる

 この、奥という人は、大塚の江戸一に通いたいがために、引っ越しをしたという傑物。

 そう、その江戸一が、東京三大居酒屋の筆頭という事になるんだろう。

 もちろん、異論がある人もいるだろうし、こういう事は、杓子定規には決められないんだけれど、開店の五時にかけつけたい、というような心持ちを抱かせてくれ、その心持ち自体が幸せなのは、やっぱり江戸一という事になるんだろう。

 三十人―くらいかな―が座れるコの字形のカウンター。そのなかでは、三世代にわたる御家族が働いてらっしゃる。お孫さん―で、いいと思うのだけれど―が、テキパキ働いているのを見ると、嬉しくなる。だって、自分より若い世代も担っているということは、くたばるまでこの店で呑めるということだから。

酔っぱらう者も、大声をだす人間もいない、低温のざわめき

 江戸一は、酒もいいし、肴も選び抜かれていて嬉しいというか、幸せなんだけど、何といっても雰囲気がいい。酔っぱらう者も、大声をだす人間もいない。落ち着いた、低温のざわめきが、充実した横溢をなしている。などと書くと恰好つけすぎだけど。

 奥リストの第二位は、神楽坂の伊勢藤。念入りに設えられた庭から小上がりになっていて、造作は、大変結構。

 ただ、ここは緊張感というか、息ぐるしい感じを、私は覚えてしまう。戒厳令、というと云いすぎかもしれないけれど、私は、あんまり行儀がいい人間ではないので、ちょっとビクビクしてしまう。

 ただ、燗のつけ方、その案配の良さは、ほとんど芸術的といってもいい水準だ。そのためだけに行っても、後悔しない。

 この店、夏がよい。冷房がなくって、坂道の路地から風が吹き込んでくる。夏でも、お酒は、やっぱり燗。これがいい。外国の人なんかは、たまらないでしょうね。土地柄、フランスの人をちらほらみかけるけど。

 とはいえ、緊張感を強いる位でないと、今どき店としての規矩を守るのは、難しいのだろう。

 伊勢藤は、実は江戸一よりも若い人が多い。土地柄も影響しているのだろうけれど、厳しいルールの存在が、むしろ若手の参入を許しているという側面もあると思う。ルールがあるという事は、ルールを守れば入れて貰えるということだから。今の若い人は、決まり事を守るのは割と得意である。

 不文律的な、気遣いと間合いで成り立っている江戸一の方が、入りにくいのかもしれない。実際、三十代ですら珍しいし、若い女性の二人組などは、一度も見たことがない。だいたい、女性客自体、江戸一では、とても少ない。

 あとは、入谷の鍵屋。この店を、奥さんと並ぶ、私の酒の師匠、写真家の田中長徳さんが書くと、「ライカD3にエルマー50F3・5が相応しい。

 それを磨きこんだ黒光りする飯台の脇の角に置いて、徳利は正一合の白い磁器であって、酒は大関で味噌豆の小皿があって、ライカの脇に使いこんだ刻みネギの木箱があるという寸法である。これは十九歳の時から通った入谷坂本の酒亭<鍵屋>の舞台である」(『ライカを買う理由』)という事になる。

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 入谷ではなくて、根岸の鍵屋(こちらの方が、世間的には有名かもしれない)は、安政三年の創業だそうだ。こういう形態の店が江戸の後期からいままで、概ね同じようなスタイルで営まれてきたことは、間違いないだろう。

「居残り佐平次」や「付き馬」など、いわゆる古典落語には、こうした酒場がたくさん出てくる。「黄金餅」などは、夜っぴいて営業していた酒場が存在していたことを推測させる。とはいえ、落語にかかれたディテールが、どれくらい当時の時代に即していたかを、詳らかにするのはなかなか難しい。

 いずれにしろ、江戸前期には、すでに街道すじや名所などに酒食をひさぐ店が出来ており、中期には江戸の市内で、専業の居酒屋が成立していたとおぼしい(『世界大百科事典』平凡社)。

 そうした「伝統」が、健在であることは、「三大」居酒屋のみでなく、東京だけ見ても、街ごとに個性的な店がいくらでもある事が証明している。

 山谷であれば、午後二時から呑める丸千葉に、鉄門もいかめしい大林。町屋のときわ、北千住なら大はしと永見に徳多和良。御徒町のたる松は、午前中から呑める。みな、酒がいいだけでなくて、肴も、料理もよくて安い店ばかりだ。

 とはいえ、居酒屋といえば、現在では、全国チェーンの、安価な店という事になるのだろう。ファミリー・レストランでさえ、ほとんど入らない―去年は一度だけ、引っ越し作業中に、手伝いに来てくれた学生さんと行った―私は、チェーンの居酒屋には、ほぼ、まったく行かない。

 安いとはいうけれど、下町のたいがいの居酒屋は、チェーンの居酒屋と同等か、それ以上に安いし、何よりもきちんと酒肴があつらえられている。

 もちろん、学生さんたちや、勤め人の方たちが、気軽に騒ぐには、チェーンの店が便利だというのは、その通りだと思う。でも、それは、酒を楽しむ、肴を味わうというのとは、別の営みのような気もしないではない。嗜好品の享受、愉楽とは別の、何というのだろう、イベントにより近いもの。

 もちろん、イベント的営みもまた、酒場の歴史のなかで、長い間保持されてきたものだ。

 もう十年近く前に、ミュンヘンのホーフブロイハウスに行ったことがある。初期のナチスが根城にしていた事で有名なビヤホールだが、行った時には、客が全員で、ビートルズの"サムシング"を合唱していた。

 歌のもつ方向性は違うだろうが、突撃隊の歌も"サムシング"も、両方とも合唱するというところに、酒場としての一貫性があると云うと、いささか不躾だろうか。しかし、それはこの地における酒の享受にとって本質的な要素なのだろう。ミュンヘンにも、メランコリックなビヤホールは沢山あるけれど。

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