中谷巌 第2回「ハーバード大学で死ぬほど勉強していた頃の私を救ってくれたガルプレイスという大恩人」

撮影:立木義浩

vol.1はこちらをご覧ください。

シマジ 人生って不思議です。この中谷巌教授が日産自動車に入社して英語が得意だったことが買われて輸出部に配属された20代のころは、毎晩、バイヤーを連れて銀座で綺麗どころを侍らせて、接待していたんでしょう。

中谷 そうですね。毎晩、午前様でした。このままこんなことをして年を取ってしまっていいものだろうかと、深く考えましたね。

シマジ そこが教授と私の大きなちがいです。わたしは毎晩、愉しくて早く仕事を終えて銀座に駆けつけたものです。教授はストイックで、編集者は快楽主義だったのでしょう。銀座で悩み、そこから一挙にハーバード大学の大学院に入ってPHDを取っちゃうんだから、中谷教授は並みの人間ではありません。わたしがオンナの尻を追いかけていたころ、教授は一生懸命勉強し、わたしがオンナの部屋で惰眠に耽っていたころ、寝食を忘れて勉強してたんでしょう。

中谷 そうですね。ハーバード大学に入ってからは、死ぬほど勉強しましたね。第一、全Aでないと奨学金がもらえなくなるので必死でした。1個でもAを落とすと生活に困窮をきたしますから命がけでした。9月に新学期がはじまり12月に終わるんですが、最後の学期試験が巧くいって明日から休みだと思った瞬間、ほっとしたのでしょう。わたしはシャワーのなかで失神してしまったことがありました。

シマジ きっと、わたしが朝、銀座の女のところでシャワーを浴びながら、そろそろこの女と別れるときがきたかなと考えたりしていたころです。

ガルプレイス教授が恩人だった

中谷 英語は日常会話くらいは少しは自信がありましたが、ノーベル経済学賞を取ったハーバード大の教授陣が講義する英語はさっぱり聞き取れなかった。はじめは「なんじゃこりゃ?」って感じでした。また膨大な英語の本を読まなくちゃならない。それも300ページもあるぶ厚い研究書を1晩で読まなければならない。