2011.11.10(Thu)

「日本人は何を食べてきたか」第2回 徳川光圀

筆者プロフィール&コラム概要

筆者 本郷明美(ライター)

「麺には麺を」でラーメンを食べた!?

 日本で最初に「ラーメン」を食べた人は黄門様! こんな説を聞いたこと、あるでしょうか? 水戸藩第二代藩主徳川光圀公、そう、あの「黄門様」です。光圀公が稀に見る名君であったのは知られるところだが、同時にどうもかなりの食いしん坊だったらしい。

 でも、日本でいち早くラーメンを食べたというのは本当なのだろうか? ここは光圀公の子どもの子どもの・・・ええい、ともかく子孫であり、水戸徳川家十五代当主徳川斉正さんにご登場いただこう。

「光圀は朱舜水(しゅしゅんすい)という中国人儒学者を気に入って長崎から江戸へ連れてきました。そして、光圀が朱にうどんを打ってふるまったという記録があります。その後光圀にお返しをしようと、朱が家来に『買い出し』に行かせたメモが残っているんです。その中に中国では麺の材料となる『蓮のでんぷん』がありました。つまり『麺には麺を』(笑)と、朱がうどんのお返しにラーメンをふるまった・・・という推測はできます。が、日本で初めてというのはどうでしょう。中国人が大勢いた長崎で誰か先に食べていたと考える方自然ではないでしょうか」

 どうやら「日本で最初」はあくまでも推測らしい。ただ、光圀公が、朱によってもたらされた中華麺を食べた可能性は高い。ちなみに朱は、光圀の隠居に伴って江戸から水戸へ共に移住。一族以外ではただ一人、水戸徳川家の墓所に眠る。光圀にいかに愛されたかがわかる。

麹漬のサケに唐納豆 食文化豊かな水戸藩

 代々水戸藩には「食」を大事にしている。水戸徳川家は当時珍しかった牧場を持ち、光圀の子孫斉昭は水戸藩に伝わる食を『食菜録』として、今でいうレシピ集にまとめているからすごい。また、光圀は自分で食べるだけではなかった。

「すべて食物のことは、みずから製して試むべきことなり」(『西山遺聞』より)

 光圀が遺した、多くの名言の中の一つだ。「食物がどれくらいの手間をかけて作られているか、自分で作ってみなければわからない」というのである。それは藩を治めるものとして、年貢を納める百姓の苦労を知らなければならない、という意味にも通じている。そして、実際江戸の屋敷内に田畑を持っていた。ときには、畑や田に光圀自身が入ったかもしれない。

 光圀はこの精神を生涯持ち続け、地元水戸で隠居生活に入ってからも屋敷内に田畑を持ち、年貢まできちんと納めていたという。

「これには食べ物を大切にする、という意味に加え、『私は一般の領民に戻ったんだ』という主張もあったと思われます」(斉正さん)。

 権力にしがみつかない、黄門様の見事な老後である。

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