ドイツ
初等教育の「日独比較」ーー格差社会のもたらした秩序の崩壊と学力低下に悩むドイツ
〔PHOTO〕gettyimages

 先々週以来、漲る愛国心と日本の将来を憂う気持ちが相まって、日本の教育の悪い点ばかり書き連ねてしまったので、今週と来週は日本の教育の良いところを書くつもりだ。良いところも、実はたくさんある。特に義務教育が良い。

 「日本の教育は崩壊している。それに比べて、ドイツは教育がしっかりしている。その話をしてほしい」などという依頼をときどき受けるが、それは妄想だ。おそらく日本人は、古き良き時代のドイツの峻厳なイメージを、未だに根強く持っているのだと思う。

 ところが今のドイツの教育は、全体として見るなら日本よりももっと崩壊している。上と下の学力の差は甚だしく、そのため、ただ上だけを見ればドイツの教育はなかなか立派だが、下を見れば、日本人はホッと安堵のため息をつくだろう。

 私は、教育の最大の目標というのは、国民の学力の最低線を上げることだと思っている。つまり、義務教育の充実だ。一握りのエリートと、たくさんの蒙昧な国民がいる国は、良い発展ができない。その点から言えば、日本の義務教育は間違いなくドイツよりもいい。日本が良い発展をするチャンスは、とても大きいはずだ。

 日本に住んでいる人はあまり気付かないかもしれないが、日本は、世界でも稀にみる格差のない社会だ。その第一の理由は、義務教育が充実していることだと思う。初等教育の段階で不平等が起こると、それがいずれ貧富の差を作り、格差となり、ゆくゆくは社会不安に繋がる。格差の有る無しは、実は義務教育の充実度で決まるのである。

 日本でも最近ぼちぼち格差が問題にはなっているとはいえ、ここで言われる格差など、世界の他の国に比べれば、まだまだ生易しい。それは、何万円もする高級レストランで食事ができる人々がいるのに、一方ではコンビニのお弁当しか食べられないというような差だ。教育の機会不均等に根差す根源的なものではない。

 極端な例を上げるなら、たとえば、何らかの事情でホームレスになってしまい、新宿の都庁辺りの地下街で、毎夜、段ボールを組み立てて寝ている人たちでさえ、たいてい義務教育は受けている。それどころか、たまにやたらと教養のありそうなホームレスもいて、就寝前の暇つぶしに、どこからか拾ってきた岩波新書に読みふけったりしている。私は数年前まで、日本滞在中はその先のウィークリーマンションを借りて、しょっちゅう彼らの枕元を通って帰宅していたので、よく知っているつもりだ。

 本当の格差社会では、こういうことは起こらない。ホームレスになる人は、たいてい、まず義務教育を受けるチャンスを逸しており、教養どころか、字もちゃんと読めず、割り算や小数点以下の計算もできず、そのため、子供の頃からその後の人生のすべてのチャンスが閉ざされてしまい、社会から落ちこぼれ、当然、職もお金もないまま漂い、ホームレスになる、あるいは、犯罪に走るという道をたどる。

 せめて義務教育さえ受けていれば、最低限、職を探すこともできるし、また、いつか奮起したとき、その上の学校に進むこともできる。人間生活の基礎としての義務教育を、侮ることはできない。

エリート教育は本当に必要なのか

 当然のことながら、現代社会に生きる人間は、昔のように、階級やら格差を当たり前のこととして受け入れない。したがって、貧しい人たちは不平等感に駆られ、膨張した不満がいずれ爆発する。それは、数年前にフランスで爆発したし、最近ではアラブ諸国が、はっきりと目に見える形で証明してくれた。

 日本には幸い、この絶望的な格差はない。もちろん、金持ちが何かにつけてチャンスをものにし、さらに豊かになっていくという傾向はあるが、その程度だ。だから、誰も絶望のあまり外へ飛び出していって停まっている車に火を付けたり、抗議の焼身自殺をしたりはしない。日本社会の不平等感は、そこまで大きくない。

 エリート教育の必要性がよく語られる。確かに、日本の教育は不平等を極端に嫌い、ドングリの背比べ的な間違った平等に走っている。出る杭はすぐに打たれるので、個性や独創性が育たない。ペーパーテストの成績が重視され、本当の実力がない。

 ただ、そこから引き出された結論が、「だから、世界で通用する人材を育てるためにはエリート教育をしなければいけない!」となると、私はとても戸惑う。

 エリートと庶民との生活感覚があまりにも開くと、格差社会になってしまう。世の中には、貧しい子供もいる。サラリーマンの子供もいれば、肉屋さんの子供もいれば、失業者の子供もいるということを、同じクラスの仲間として身近に知っているのと、知識としてだけ知っているのは、大きな違いだ。

 裕福な環境しか体験したことがなく、やはり同じような恵まれた環境の人間しか知らない子供は、実感として社会を知ることができないまま成長してしまう。そういう、新幹線はグリーン車、飛行機はファーストクラスしか知らない人たちがいずれ社会を運営していくとしたら、その社会が快適なものになるとは、私には思えない。

 これでは結局、エリートを作るメリットよりも、格差社会のデメリットの方が大きくなってしまう。

 快適で、良い発展をする社会というのは、不平等感の極力少ない社会だ。それはつまり、国民全員によい初等教育を施し、チャンスを与えることができる社会である。だからこそ、本当に必要なのは、初期段階でのエリートの選別ではなく、義務教育の中身なのだ。義務教育の質を高め、その上、個性を抑えつけない自由な空気を作るなら、たとえそこが玉石混交の普通の学校であったとしても、本当に優秀な人間はちゃんと伸びて行くと思う。

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