いまこそ平清盛、徳川家康、坂本龍馬ら歴史転換に立ったリーダーの発想に学ぼうーー世界不況の危機にあるいまこそ、TPP交渉参加が必要だ
〔PHOTO〕gettyimages

 中尊寺を創建した藤原清衡、武士の世を開いた平清盛、室町幕府の全盛期に君臨した足利義満、天下統一を果たした豊臣秀吉、江戸幕府の生みの親の徳川家康、杜の都を築いた独眼竜・伊達政宗、幕末に薩摩藩を再建した島津斉彬、そして薩長連合を実現させた坂本龍馬ら8人の日本史の英雄なら、この難局にどういうリーダーシップを発揮するだろうか---。

 野田佳彦首相が12日からハワイで開かれるAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議に出席して、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の交渉参加を表明するとみられる中で、反対派が気勢をあげている。

 農業、漁業、医療などの関係団体が全国各地で反対集会を催しており、中でも10月26日の東京の日比谷野外音楽堂における決起集会には3000人を動員、特別決議を採択したという。

 自民、公明、共産、社民といった野党にとどまらず、民主、国民新の連立与党からも反対論に理解を示す声は多い。

 火に油を注ぐ動きもある。与党・民主党の前原誠司政調会長の一連の言動がそれで、同29日にも「不満を持つ人に配慮すれば、政策は前に進まない」とまた思慮を欠く発言をした。

 しかし、反対論は、世界や日本の将来を見据えた建設的な議論と言えるだろうか。 

 これまで経済学者の定説やTPPの持つ長期的・戦略的な可能性は何度か本コラムで取り上げてきたので、今回はアプローチを変えて、日本の歴史上の偉人たちならば、どういう選択をするか考えてみたい。

 本論に入る前に、TPPとは何なのかを押さえておこう。

 2010年11月2日付の本コラム「保護主義の嵐が吹き荒れる大海で、『最後の救命ボートTPP』に乗る秘策」や、同じく2010年2月2日付の本コラム「今こそ、『日米経済同盟』を模索すべきだ 対中交渉と雇用拡大の切り札になる」でも紹介したが、TPPは、対象分野を参加国の都合のよいところに限定しがちな他の多くの自由貿易協定や経済協力協定と異なり、モノの貿易についての関税を完全撤廃することが原則だ。仮に、即座には応じられない品目があっても、10年以内に段階的廃止を義務付けられる。

  核になっているのは、ニュージーランド、シンガポール、チリ、ブルネイの4ヵ国が2006年に発効させた自由貿易協定「パシフィック・フォー」(P4)だ。当初は4ヵ国の間で低率の特恵関税を適用することがポイントだったが、2008年ごろから金融や投資の分野に議論が拡大した。

 その後、豪州、ペルー、米国、ベトナム、マレーシアが新たに交渉に加わり、現在の9ヵ国による枠組みに発展した。9ヵ国は10月28日、ペルーのリマで第9回拡大交渉会合を終えており、11月のAPEC首脳会議の際に大枠合意をしたうえで、今後1年程度かけて正式合意を目指すとみられている。

 筆者が2009年2月27日に、ダイヤモンド・オンラインに寄稿したコラム「保護主義台頭への対抗軸『環太平洋FTA』構想への参加を急げ」で紹介したように、P4諸国は早くから日本の交渉を促す招致状を発していた。

 しかし、官僚たちは、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎といった自民党政権には「実現する指導力がない」と決め付けて、招致状の存在を握り潰してきた。民主党政権も、政権獲得前に掲げた自由貿易拡大の取り組みは掛け声倒れで、鳩山由紀夫、菅直人両政権は問題の先送りを続けてきた。

 このため、日本は、もっと早い段階から交渉に加わり、より国益に適う枠組み作りを主張する機会を失してしまった。換言すれば、今回は、最後のチャンスなのだ。

 このところの反対論に共通しているのは、交渉への参加を米国に強要されたものと決めつけて、工業製品の関税引き下げで米国から得られるものが乏しいにもかかわらず、農業・漁業、医療が迫られる譲歩が大きく算盤が合わないという主張のようだ。

 しかし、参加を決めるのは日本自身だ。9ヵ国が参加する多国間の交渉事を、米国1ヵ国との関係だけで評価しようという姿勢も理解し難い。さらに言えば、米国は長年、日本の貿易黒字を受容してきた貿易パートナーだ。昨年度も輸出(10兆4044億円)は輸入(5兆8832億円)の2倍近い。そこから取れるものが少ないと反対するのは、エゴとみなされてもやむを得ないだろう。

 もうひとつ反対派に欠けている視点は、TPPに参加しない国々に対して、市場開放のインセンティブを与えることができるという戦略的発想だ。というのは、TPPはASEANとの自由貿易圏作りに昇華させることをにらんでいるからだ。

 もちろん、対中問題も大きい。中国はGDPで日本を抜き、世界2位の経済大国になったにもかかわらず、2001年12月のWTO(世界貿易機関)加盟の際に、例外的に認められた既得権を温存し続け、高い貿易障壁の恒久化を目論んでいるとしか思えない。例えば、自動車分野の関税率は、日本ゼロ、米国2.5%、韓国8%、欧州10%、豪州5~15%に対し、中国は完成車25%、部品3~10%と群を抜いている。

 そこで、日米を含む10ヵ国の市場規模が世界の4割に達することが大きな意味を持ってくる。この巨大市場が、中国やロシアといった環太平洋に位置する新興国にとって、魅力的な輸出先に映らないはずがない。巨大市場の誕生は、貿易協定が一方的な輸出の拡大を目指すものではなく、相互に輸出拡大を図るものだとの認識を共有させるにも役立つはずだ。

 ちなみに、中国の貿易障壁は高率の関税だけではない。いまだに主要企業に対して広範に外資規制をかけ、さらに障壁を高めようという動きにも事欠かない。日中韓FTA(自由貿易協定)交渉において、中国が日本の関心事である自動車、電気、鉄鋼産業などの工業製品を初っ端から対象にすまいとしたことは、関係者の間で有名だ。

 自動車製造工場の建設許認可に関連して、近く新法を制定し、ハイブリッドエンジンなどの設計・製造を巡る企業秘密について、中国政府への情報開示を義務付ける構えもみせている。 中国は、国際的な慣行を無視して、自国の利益だけを追及する姿勢をむき出しにしているのだ。そうした中で、TPPは、米国、豪州などと足並みを揃えて、中国に改善を迫る格好の機会になり得る。みすみす、その機会を逃すのは愚策だ。

 だが、TPP反対派は、18世紀から19世紀にかけて、経済学の世界で、アダム・スミスやリカードらの「古典学派」が、分業や比較優位(絶対優位ではない)といった概念を駆使して正当化した自由貿易主義を黙殺する姿勢を貫いてきた。

坂本龍馬ならどう考えるのか

 それならば、別のアプローチとして、日本の歴史上の8人の偉人たちの貿易に関する足跡を辿り、TPPの意義を考えてみよう。

 最初は、中尊寺を建立したことで名高い清衡を始祖とする奥州藤原氏だ。手元にある高等学校の教科書(山川出版『詳説日本史 改訂版』2007年3月5日発行、以下、特に断らない限り、「」内は『詳細日本史』の引用)によると、「奥州藤原氏は、清衡・基衡・秀衡の3代100年にわたって、金や馬などの産物の富で京都文化を移入したり、北方の地との交易によって独自の文化を育て、繁栄を誇った」と指摘している。実際、金色堂の内装には、アフリカ産の象牙まで使われている。交易がなければ、世界遺産・平泉はこの世に誕生しなかったかもしれない。

 次に、来年のNHKの大河ドラマの主人公になる平清盛はどうだろうか。教科書は「大輪田泊(現神戸市)を修築して、瀬戸内海航路の安全をはかり、宋商人の畿内への招来にもつとめて貿易を推進した」「多くの珍宝や宋銭・書籍は、以後のわが国の文化や経済に大きな影響を与え、貿易の利潤は平氏政権の重要な経済的基盤となった」とその貿易振興策の効果の大きさに高い評価を与えている。

 3人目は、室町幕府3代将軍の足利義満だ。教科書は「明に使者を派遣して国交を開いた」「日明貿易を勘合貿易とも言う」「朝貢形式の貿易は、滞在費、運搬費などすべて明側が負担したから、日本側の利益は特に大きく、とくに大量にもたらされた銅銭は、日本の貨幣流通に大きな影響を与えた」と、ここでも貿易の成果を称賛している。

 4番目は、類を見ない立身出世で知られる豊臣秀吉だ。「海賊取締令を出して倭寇などの海賊行為を禁止し、海上支配を強化するとともに、京都、堺、長崎、博多の豪商らに南方との貿易を奨励した」としたうえで、「戦国の争乱をおさめ、富と権力を集中した統一政権のもとで、その開かれた時代感覚が新鮮味あふれる豪華・壮大な文化を生み出した。

 ここには新しく支配者地なった大名や、戦争・貿易などで大きな富を得た豪商の気質とその経済力とが反映されている」「ポルトガル人の来航を機に、西欧文化との接触がはじまったことにより、この時代の文化は多彩なものとなった」と述べて、あの豪華絢爛な桃山文化を貿易の賜物と位置付けている。

 5人目は徳川家康だ。江戸幕府の鎖国のせいで貿易にはネガティブな人物と思われがちだが、実際はまったく違う。「(豊後に漂着したオランダ船リーフデ号の)航海士ヤン=ヨーステン(耶揚子)と水先案内人のイギリス人ウィリアム=アダムズ(三浦按針)とを江戸に招いて、外交・貿易の顧問とした。(その縁で)オランダ、イギリスは幕府から貿易の許可を受け、肥前の平戸に商館を開いた」

 「家康は朝鮮や琉球王国を介して明との国交回復を交渉したが、明からは拒否された」「スペインとの貿易にも積極的で、スペイン領のメキシコ(ノヴァスパン)との通商を求め、京都の商人田中勝介を派遣した」と幅広く貿易を試みた事実を紹介。そのうえで、「糸割符仲間と呼ばれる特定の商人らに輸入生糸を一括購入させ、ポルトガル商人らの利益独占を排除した」と国益擁護への施策を講じたことを称賛している。

 その一方で、「日本人の海外進出も豊臣秀吉時代に引き続いてさかんで、ルソン・トンキン・アンナン・カンボジア・タイなどに渡航する商人の船も多かった」「貿易が盛んになると、海外に移住する日本人もふえ、南方の各地に自治制をしいた日本人町がつくられた」「渡航した日本人のなかには、山田長政のようにアユタヤ朝の王室に重く用いられたものもいる」と、この時代の日本人が海外で活躍した事実も紹介している。

 6番目は、仙台藩62万石の基礎を築いた独眼竜こと伊達政宗だ。政宗は、青葉城を築き、植林、新田開発を進めたことなどで有名だが、教科書が取り上げた業績は、貿易に関連するものだけ。その記述は、「家臣の支倉常長をスペインに派遣してメキシコと直接貿易をひらこうとしたが、通商貿易を結ぶ目的は果たせなかった(慶長遣欧使節)」というもので、失敗に終わったにもかかわらず、そのチャレンジを評価する表現となっている。

 7番目が、明治維新の原動力となる薩摩藩の島津斉彬ら。教科書は「奄美三島(大島・徳之島・喜界島)特産の黒砂糖の専売を強化し、琉球王国との貿易をふやすなどして、藩財政を立て直した」「幕府は長崎を窓口にして、清国との俵物貿易を独占していた。これに対し薩摩藩は、松前から俵物を積み出して長崎に向かう途中の船から俵物を買い上げ、これを琉球王国を通して清国に売る密貿易をおこなって利益をあげた」ことから解き起こし、「島津斉彬は鹿児島に反射炉を築造し、造船所やガラス製造所を建設した。ついで島津忠義はイギリス人技師の指導で紡績工場を建設し、長崎の外国人商人グラバーから洋式武器を購入して、軍事力の強化もはかった」「薩英戦争の経緯からかえってイギリスに接近する開明政策に転じ、西郷隆盛・大久保利通ら下級武士の革新派が藩政を掌握した」と、早くから貿易をてこに富国強兵に努めていた戦略性の高さを褒めている。

 最後は、維新の志士として根強い人気のある坂本龍馬だ。

 教科書は、薩長連合の立役者とするだけで、貿易面の業績には触れていない。しかし、広辞苑をみると、「土佐勤王党に加盟。脱藩後、江戸に出て勝海舟に入門、航海術を学び、長崎に商社を設立(後に海援隊に発展)。西郷隆盛、小松帯刀、木戸孝允らと計り、薩長連合を策し、大政奉還に尽力」と政治の権力闘争と並んで、海援隊を作り、貿易を興そうと試みた点にも関心を払っている。

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら