雑誌
福島が殺される
東京の身代わりなのか
南相馬市で遺体捜索に当たる自衛隊員 〔PHOTO〕森住卓

本当のことを教えてほしい

「あの原発は『福島電力』じゃあないからね。東京電力、東京のための電力を作ってたんだ。そのことを、どこまで首都圏の人は受けとめてるのかね。東京ではいわきナンバーの車を差別する空気があるそうだ。野菜や魚だけでなく、人間まで汚れたモノのように扱うのはやめてほしい。特に、何の罪もない子どもたちには、普通の暮らしをさせてやりたい。俺が言いたいのは、福島を、福島県人をこれ以上バカにするなってことなんだ」

 福島第一原発のある双葉町からいわき市に避難している男性(65歳)は、怒りを抑えて静かに言った。

 30km圏内の広野町から会津若松市に避難している商店主(40代)も、諦めたように淡々と語る。

「20km圏内はもうダメ。じゃあ、30km圏内はどうなんですか? やっぱり同じように危険なんですか? 誰もそのことを正確に言ってくれない。テレビに出てくる学者の言うこともみんなバラバラ。誰を、何を信じたらいいんですか? 私たちは広野町に住み続けることができるのか、できないのか。子どもに訊かれて答えられない自分が嫌になるんです。誰か本当のことを教えてくださいよ」

 本誌はこれまで、被害の大きかった三陸地方でも取材を重ね、津波で家も家族も流された人の悲しみを伝えてきた。

 しかし今回、福島の被災者にじっくり話をきくと、三陸の人々に会った時と明らかに違う心象を持った。怒りと恐怖と諦観、その渦の中に彼らはいる。

 その違いは何か。

 答えは簡単だ。津波は天災だが、放射能汚染は人災だからだ。

 三陸には、自然の猛威にひれ伏し、泣きながらも、「この土地でもう一度やり直そう」と思える人たちがいる。これまで津波に襲われては復興してきた強靱な歴史がある。

原発近くの陥没した幹線道路。誰も直せない

 福島は違う。立ち上がるための大地そのものが、汚染された。先祖代々守ってきた家に、二度と帰れないかもしれない。町の6割が避難区域に含まれる浪江町の避難民が言う。

「先日、30km圏内にある自宅を見にいったんです。役場からは『絶対に行くな』と言われていたけど、まだ3年しか経ってない新築だし、泥棒も心配だし。いざ町に入ってみると、ウチの辺は津波被害がないから、見た目は何にも変わりがないんです。ひとつだけ違うのが、人影がないこと、そして犬や猫が町のいたるところにたむろしていることでした。

 その光景がある意味、怖かった。放射能は目に見えないんだってことが、実感としてわかったからです。目に見えないから、町並は何も変わらない。それなのに、人間の生活すべてを変えてしまう。それが放射能なんですね」

 テレビではアイドルや歌手が「頑張って」「あなたは一人じゃない」と笑顔でメッセージを送っている。しかしそんな言葉は、彼らの胸には虚しく響く。

「頑張ってって、何をどう頑張ればいいんですか。私たちには頑張るための基盤がないんです。一人じゃない? じゃあ、立ち直るための具体的な方法を、誰か教えてください」(双葉町の主婦・50代)

「放射能は危険じゃない」というキャンペーンを張るメディアにも、彼らは憤っている。

「ある雑誌が『危険を煽るな』って書いてましたが、気休めにもなりません。煽ろうが煽るまいが、私らは二度と家に帰れない。それはレッキとした事実なんです。自分は安全な場所にいて、まるで私らの味方のような顔をして『放射能は危険じゃない』と言い張る人たちが、いちばん冷たく思えます」(福島第一原発のある大熊町の避難民)

 テレビが押しつける美談や一部メディアが主張する「放射能安全説」。それが福島の人々をいっそう傷つけている。絶望の淵にいるからこそ、薄っぺらな美談や無責任な安全説の欺瞞が、彼らにはよくわかる。

 そしてもう一つ、忘れてはならないことがある。

 原発のある双葉町や大熊町はそうでもないが、海の近くに民家が建ち並んでいた浪江町や南相馬市には、津波にさらわれたものの捜索すらされていない遺体が、いまだ何百体と横たわっているのだ。

 4月1日、防護服をまとって浪江町を撮影した(後半カラーグラビア参照)、佐藤文則カメラマンが語る。

「港に通じる道路は、途中で瓦礫によって遮断されていました。その瓦礫の山に足だけ出ている遺体を見つけた。掘り起こしたいが手ではよけられないほどの瓦礫があり、震災以来、放射性物質にさらされていた遺体に触れることは、やはりためらわれました。迷いましたが、落ちていたピンクの帯を棒に巻いて、遺体のそばに置いておくことにした。捜索隊の目印になればいいのですが、逆に、この状態がいつまで続くのかと重い気分になりました」

 佐藤氏が見た20km圏内の様子を記しておく。

 南相馬市から南下し浪江町に入ると、20kmのあたりに「立ち入り禁止」の看板があったが、警官も自衛隊員も立っていない。幹線道路の国道6号線なのに、出入りが自由のようだ。

 町は人影がなく、物音ひとつしない。驚いたことに無人の商店に灯りがついていた。退避した時に停電だったので、消し忘れたのだろう。無人の町に点る灯が不気味に感じられる。

 コンビニの前を通ると入り口のガラスドアが割られていた。住宅街に入ると、玄関の扉が開いている家が数軒あった。いずれも物盗りの仕業と思われる。

 首に紐をぶら下げてさまよう犬がいる。繋がれていたリードを必死で噛み切ったのだろう。人を見ると弱々しく吠えながら近寄ってくる。飢えているのだ。

 第一原発の北6~7km、請戸港は見渡す限り一面の瓦礫が広がり、あちこちに漁船が転がる。瓦礫の除去作業はまったく行われていない。地震直後から、時計の針が止まったかのようにすべてがそのまま放置されている---。

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら