スモレンスク飛行機墜落事故 ポーランドを襲った「カティンの森」の第二の悲劇

2011年04月15日(金) 川口マーン惠美
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 柔和なトゥスク首相も、主な原因がポーランド側にあることは認めたものの、ロシア側の責任が一切明らかにされていない点に反発しており、「ロシアとの協議が失敗すれば、国際的な機関に調査を依頼するかもしれない」と述べた。

 つまり、ここに至って何が本当なのだかがさっぱり分からない。もしポーランド側の主張が本当だとすると、管制塔のロシア人も酔っ払っていたのだろうか。それに、コックピットにいたもう一人の人間とは、いったい誰だったのだろう。カチンスキ大統領は2008年、戦時国際法で戒厳令の敷かれていたグルジアに、特別機を着陸させようとしたことがあった。機長がそれを拒否し、アゼルバイジャンに着陸したところ、激しく立腹し、機長を首にしようとしたという。コックピットにいたもう一人の人間は、ひょっとすると大統領だったという可能性はないだろうか。

 夜、クラカフのホテルでテレビを付けたら、事故の特集をやっていた。次々と遺族が現れ、泣きながらインタビューに応じている。カチンスキ大統領がヴァヴェル城の聖堂に葬られたことに反対する抗議デモも盛んに映る。歴代の王と共に一介の大統領が葬られるのは不相応だという言い分は、なるほど一理ある。しかも、カチンスキは極右派で、民主化を目指すポーランドにおいて、評価の大きく分かれる大統領であったのだから。

 日曜日(4月10日)には、カティンで盛大な事故の一周年追悼式が催された。しかし、兄カチンスキは式典をボイコット、支持者と腕を組んでワルシャワの町を練り歩いた。デモ行進のあとは、支持者を前に「我々の公的秩序、我々の社会、我々の経済、すべてが変革されねばならない!」 追悼の辞ではなく、まさに政府転覆への呼びかけだ。

 そういえば彼は、この一年間、亡くなった弟の英雄化、そして、トゥスク首相率いる与党の弱体化をひたすら目指してきた。今や墜落事故は、彼にとって政治道具以外の何物でもない。そして、元々不安定だったポーランドの政治界では、右派とリベラルの亀裂がさらに深くなっている。

 肝心の、事故機のボイスレコーダーは、今、ロシアの手中にあるという。兄カチンスキは、トゥスク首相が調査の全権をロシアに委託してしまったことを強く非難している。ただ、事故の真相が明らかになり、本当に困るのは誰かということは、まだわからない。ヴァヴェルの地下で眠っている弟が、実は大惨事の第一責任者であったという可能性は、いまだに消えたわけではないのだ。

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