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「そこは〝死の灰〟が降る戦場だった」

作業員が語る福島第一原発の内部!
フライデー
手前が、最も損傷の激しい3号機。鉄筋がぐにゃぐにゃに曲がっている。後方の4号機も、3月15日と16日に大きな火災を起こしている
福島第一原発の作業員A氏。「作業中は、白煙が絶え間なく出ていた2号機が爆発するのではと不安だった」

「お前ら、死ね」と言い放った元請け会社社員、10人に1人しか渡されない放射線測量計、そして通常の1万倍の被曝量!

「原発内部で私が目の当たりにしたのは、想像を絶する凄まじい現実です」

 福島第一原発で働き始めて7年になるという30代の男性A氏は、同所で受けた衝撃を抑えられない様子で語った。

「『何だこれは・・・』と、言葉を失いました。テレビでも福島第一原発の映像を流していますが、ひどさはあんなものではありません。水素爆発を起こした1号機や3、4号機の鉄筋はぐにゃりと曲がり、まるで爆撃を受けたようです。鉄筋の直径は20cm近くもあります。

 そんな太い鉄の棒が何十本も飴細工のように曲がってしまうほど、爆発の威力が凄まじかったのでしょう。地上もひどい状況です。1号機近くには原発内の移動用のバス停があるのですが、その前には高さ10mはあると思われる重油タンクが吹き飛ばされ、黒焦げになって道を塞いでいました。

 地面を覆っていたのは、瓦礫ばかりではありません。津波で押し流されてきた魚の無数の死骸が、散乱しているのです」

 A氏は福島第一原発で電気設備関係の仕事に従事する、東京電力(以下、東電)の協力会社の中堅作業員だ。3月11日に起きた東日本大震災の影響で一時福島県外に避難したが、上司の要請で再び福島第一原発に戻って来たという。

 東電や政府が限定的な発表しかしないため、福島第一原発内部の詳しい状況はいまだに不明のままである。一体、原発では何が起きているのか。A氏の証言から、その驚愕の事実を明らかにしよう。

Jヴィレッジに戻ってきた、福島第一原発の作業員たち。完全防護服を着たうえに、足下などをテープで補強する人も

「私が福島第一原発に戻ったのは、3月25日の午前中でした。数日前に上司から電話で『また作業をしてくれないか』と言われ、それを受けたのです。放射性物質の濃度が高く、とても危険な状況にあることは報道で知っていました。でも私たち作業員が行かなければ、原発の状況は悪化するばかりです。私には、妻も子供もいます。家族に相談すれば反対されるのは明らかだったので、妻には『今度は福島県広野町の火力発電所に行くよ』と嘘をついて安心させました」

 A氏は3月25日の朝、まず避難先の埼玉県から自分の車で福島県へ向かった。指定された集合場所に行くと、20人ほどの作業員が集まっている。バス2台に分乗してA氏らが次に向かったのは、原発事故対応の前線基地となっている日本最大のサッカー施設「Jヴィレッジ」(福島県双葉郡楢葉(ならは)町)だ。だが、そこでA氏は思いもよらない扱いを受ける。

「Jヴィレッジで作業員は元請けの企業ごとにバスを乗り換えるのですが、私の親会社である大手電機メーカーの社員の態度はひどく高圧的でした。私たちが到着するなり、『今来た人たちは東電? 東芝? 日立?』と乱暴な口調で詰問するのです。啞然としていると、彼は『さっさと防護服に着替えて!』とまくし立ててきます。

 さすがに腹が立って、私は彼に詰め寄りました。『これから危険な場所に行く人間に対し、その態度はないんじゃないですか。どのバスに乗ればいいのか知りたいのは俺たちなんだから、もっと言い方があるでしょう』と。すると彼は謝るどころか無言で歩いて数mほど離れたかと思うと、こう言い放ったんです。 『悪かったな。お前ら、死ね!』

 被曝覚悟で仕事にあたる作業員に対し、この暴言は許せません。私たちは『こんな屈辱を受けてまで危険にさらされたくない』と、そのまま乗ってきたバスで帰ろうとしました。すると暴言を吐いた社員の上司が飛んできて、『帰られては、今後の作業員の動員に支障をきたす。何とか残ってください』と何度も謝ります。

 暴言社員も上司に『来てくれた人に対して何を考えているんだ、慎め!』と激しく叱責され謝罪したので、私たちは帰ることを思いとどまり、元請け会社の用意したバスに乗り込んだんです」

「すぐに首を拭いて!」

 バスが福島第一原発から20km圏内にある富岡町に入った時点で、A氏たちはフィルター付きマスクを着用。福島第一原発に到着すると、さっそく機材を用意して、元請け会社の指示通りに1号機へ向かった。そこで見たあまりの惨状に、A氏は我が目を疑ったという。

「見慣れた福島第一原発の様相は、半月ぶりに訪れると一変していました・・・。敷地内の重油タンクは津波のために大きく凹み、4号機近くにあった重量200tのクレーン車も踏み潰されたようにぐしゃぐしゃに壊れていたんです。戦場のような光景です。周囲には消防車が不規則に停まり、散在したホースが行く手を遮っています。1号機へ向かうにも、大きく迂回せざるを得ませんでした」

 ようやく作業に取り掛かったA氏だが、妙なことに気づく。パラパラと、白い小さな物体が降り注いでいるのだ。

「最初は雪かなと思いましたが、よく見ると灰なんです。2号機からは絶えず白煙が上がっていたので、中で何かが燃え続けていたのでしょう。雪と勘違いしたのは、放射線量の強烈に高い2号機からの粉塵だったのかもしれません。まさに 〝死の灰〟です。もしマスクをしないで作業をしていたら・・・。考えただけで、背筋が寒くなります」

 高濃度の放射線の中では、長時間の作業はできない。A氏たちは20~30分ほどで仕事を切り上げ、「免震棟(めんしんとう)」と呼ばれる、耐震機能が強化され放射線を遮る特別な素材で覆われた敷地内の建物へ、昼前に引き上げた。建物の中に入り防護服を脱ぐと、一人ひとりの作業中の被曝量を計測するのだが、A氏はそこで自分が大量の放射線を浴びていたことを知る。

「私の防護服は、首回りの部分が完全には閉まらない状態でした。他の作業員はテープを巻いていましたが、私はそうした補強もしなかったんです。それがいけなかったのでしょう。免震棟に戻り放射線量をチェックした保護官が、計測器に表示された数値を見て慌てて叫ぶんです。『アルコールで湿らせたタオルで、すぐに首を拭いてください!』

 私は『被曝してしまったのか』とパニック状態になり、言われるがままに、その特別なタオルでごしごしと首を拭きました。直後に保護官が計測し直すと、どうやら問題なかったようで『数値は下がりました』とホッとしていましたが、私は安心できるはずがありません。身体が汚染されてしまったのではないかと、今でも不安でならないのです」

 A氏の知り合いの作業員の中には、3号機のタービン建屋近くのマンホールを開けるために、4ミリシーベルトの放射線を浴びた人がいる。わずか4分ほどの作業だったという。A氏が昨年1年間で浴びた放射線量は、約0・03ミリシーベルト。この作業員の4ミリシーベルトという被曝量は、昨年150日ほど働いたA氏の1日あたりの被曝量、いわば通常の被曝量の1万倍以上になるのだ。

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