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福島・浪江町ルポ 原発から14km「セシウム牛と生きる」牧場主の決意
政府が決定した「殺処分」を拒否、
被曝牛の長期的医学調査こそが必要と訴える
手前は白骨化した牛の死骸。エム牧場の敷地面積は30haあり、原発事故前は約330頭放牧されていたという

 私は、福島県双葉郡浪江町にある「エム牧場浪江農場」に向かっていた。東京電力福島第一原発から約14kmの地点にある同牧場は、政府が定めた「警戒区域(20km圏内)」に入っている。しかし、そんなエリアで、今も牛を育てている人がいる。農場長の吉沢正己さん(57)だ。

 菅直人前政権は5月、警戒区域に残る家畜を、所有者の同意を得てすべて殺処分する方針を福島県に通知した。しかし、同意した所有者は3分の1程度だ。吉沢さんも必死になって、牛たちを生かすことを考え続けてきた。

 そして7月下旬、「希望の牧場~ふくしま~プロジェクト」という支援プロジェクトが立ち上がった。警戒区域の家畜たちを生かす方法として、「放射能災害の予防に貢献するための学術研究目的ならできるんじゃないか」との話が出てきたのだ。吉沢さんも発案者の一人である。

「これまで国は生き残った牛は殺処分する、の一辺倒だった。しかし、殺処分せず調査研究することが復興にもつながる。全頭処分はいけないよね。だから俺は、毎日、避難先の二本松市から2時間かけて餌をやりに通い続けてるんだ」

 同プロジェクトでは、複数の大学の農学部や獣医学部が、被曝牛たちの長期的な医学調査や観察などを目指している。

*

 現在、警戒区域内には、通行許可証がないと入れない。9月30日には「緊急時避難準備区域」(20km~30km圏内で、計画的避難区域になっていない地域)の指定が解除されたが、警戒区域はまだ立ち入り禁止だ。今回は、吉沢さんに同行し、20・圏内に入ることができた。二本松市内にある事務所で待ち合わせ、エム牧場へと車を走らせた。

 私が吉沢さんに出会ったのは、20km圏内に2度目に入った3月末のことだった。吉沢さんはその頃、家族二人を千葉県に疎開させた。現在は、二本松市内の仮設住宅に一人で暮らしている。それでも毎日、「赤字覚悟の持ち出し」(吉沢さん)で牧場に餌を運び、牛たちの面倒を見てきた。今では、餌代は「希望の牧場~ふくしま~プロジェクト」によるカンパで賄われている。

震災後、牧場の周囲に張り巡らされている鉄線の柵に電流が流れなくなり、他の牧場から乳牛が入り込んだ

 牧場に向かう途上、雑草だらけの田んぼを見ながら、吉沢さんはこう漏らした。

「二本松の米は売れるのだろうか・・・・・・」

 新米の予備調査で国の暫定規制値と同じ500ベクレル/kgの放射性セシウムが検出されたからだ。ただ、10月に行われた本調査では規制値を下回った。それでも、一度マイナスイメージになると、販売に影響が出ることが心配される。

 警戒区域手前の浪江町津島地区に入ると、別の牧場が見えてきた。入り口に置かれている牧草ロールには、

津島地区の牧場入り口には「I'll be back」とメッセージが残されていた。手前は吉沢さん

「I'll be back つしま」

「もどるぞ つしまへ」

 と、ペンキで書かれてあった。

「こんなこと書いてあるけど、本当に帰れるのかなあ」

 吉沢さんはそうつぶやいた。

 それでも、私が吉沢さんの牧場にいる牛の様子を聞くと、表情を和らげて、

「牛は元気だよ。(牧場を)出たり入ったりしてるよ。原発の事故後に亡くなった牛もいるけど、産まれた牛もいるよ」

 と教えてくれた。震災前日に産まれた子牛も元気に育っているという。

 国道114号線沿いにある津島中学校付近で、警察官が警戒区域に入る車両をチェックしている。吉沢さんは日本製の線量計を持ってきていた。警戒区域の入り口付近では、15.47マイクロシーベルト/h(注1)を示した。この辺りは山間部であるため、放射性物質が蓄積されやすい。だが、その数値を見ても吉沢さんは動じず、マスクもしない。

(注1)文部科学省調査では、10月16日時点での福島市の放射線量は0.95マイクロシーベルト/h。計画的避難区域の飯舘村で2.08マイクロシーベルト/h。エム牧場の放射線量の高さが分かる
浪江駅前の新聞販売店の軒先には置かれたままの新聞の束が・・・・・・。時間が止まったかのようだった

「原発事故が起きてから毎日のように、牧場に入っている。事故の日も牛に餌をやりに行った。途中で警察官が立っていて、通常の放射線量ではないと引き止められた。でも、『餌をやらないと牛が死んじまう、どうしても通してください』とお願いをした。警察は『自己責任で行ってください』と言っただけだった」

 餌をやり続けてきた吉沢さんは7月に、放射線医学総合研究所(千葉市)で自身の内部被曝の検査を受けた。結果は、セシウム134が3100、137が3500ベクレル/kgだった。これは、一般的に健康被害を及ぼすとされる数値の1000分の1である。しかしいまだにこの説明は、吉沢さんに伝えられていない。

「こっちは、放射能のことは分からない。だから、検査員に『自分は、調査した中で何番目なのか?』と聞いたけど、『言えません』としか言わなかった。(内部被曝の数値が)高いのか、低いのか。ほんと、ちんぷんかんぷんなんだよ」

 10月には、牧場の牛たちの尿検査もした。こちらは厳しい結果だった。牛たちのセシウム値は、1200ベクレル/kg。国が定めた食用の安全基準(500ベクレル/kg以下)の約2.4倍だったのだ。

彷徨う「放れ乳牛」

 エム牧場に着く。牧場から道路に出ている牛もいる。近づくと、逃げてしまった。場所によって違うが、放射線量は3~7マイクロシーベルト/hあった。以前訪問した時は、牧場の入り口で20マイクロシーベルト/hだったことを考えると、空間線量は低くなってきているようだ。

 同農場では、黒毛和種と日本短角種が300頭ほどいる。肉牛を育てているのだ。600頭にする計画もあったが、原発事故で今はそれもかなわない。と、牧場内に違和感のある白い牛が歩いていた。よその牧場の乳牛、ホルスタインが混ざっているのだ。吉沢さんが笑って話す。

「どこからか迷い込んで来たんですよ。そのまま放っているんで、今何頭いるのかさえ分からないね」

 吉沢さんは近くの酪農家の牛舎を案内してくれた。その牛舎内には、牛の死骸が並んでいた。首輪でつながれたまま餓死していた。事故後、牧場主が牛を放置して逃げざるを得なかったのだ。他の牛舎も覗いたが、やはり餓死し、白骨化した死骸が横たわっていた。

 震災当初、原発事故で吉沢さんは「絶望」を味わった。最初に会った時、これまで育ててきた牛を「どうにかして生かしたい」という悲鳴に似た言葉を吐き続けていた。それが、今回の「希望の牧場~ふくしま~プロジェクト」によって、新たな光が見えてきたのは間違いない。

エム牧場の外には「放れ牛」の姿もあった。のんびりとして見えるが、近づくと、かなり弱っているようだった

 今後、同プロジェクトは、民主党の高邑勉代議士や社民党の阿部知子代議士らのサポートを得ながら、警戒区域内での家畜飼育の認可を政府に働きかけていくことになる。

「ベコ屋の意地」。吉沢さんは3月の頃から、この言葉を繰り返してきた。その意地で取り組んできたことが、実を結び始めた。人災によって、家畜たちが無意味に殺されてはならないのだ。

写真・文 渋井哲也(ジャーナリスト)

「フライデー」2011年11月4日号より

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