大震災・原発事故「不都合な真実」が突きつける政治、経済、メディアの「パラダイムシフト」
矮小なスキャンダルで国会を止める時代は終わる

 地震と津波、東京電力・福島第一原子力発電所の放射能漏れ事故は、日本の政治・経済はもとより思考の座標軸に影響を与えるのではないか。おおげさに言えば、日本人の世界観にパラダイムシフトをもたらす予感がする。

 抽象的に語るより具体的に語ったほうが分かりやすいと思うので、舌足らずになるのを恐れずにずばり書こう。

 第一に、原発事故は福島の怒りを呼び起こした。それは事故を起こした東京電力に向けられるだけではない。人々は「なぜ首都圏の電力を賄うのに、私たちが危険な目に遭わなければならないのか」と問うている。

 信頼できるベテランの科学ジャーナリストによると、原発を事故から守る壁は原子炉圧力容器とか格納容器だけではない。最終的には「距離という『第6の壁』がある」と言われてきた、という。東京と福島の距離は約230キロである。この距離が首都圏の安全性を担保しているのだ。

 彼は「福島に原発が作られた本当の理由は『首都圏から離れているから』です。かつて、あるシンポジウムで専門家がそのことをあからさまに喋ってしまったことがある。彼はひんしゅくを買ったけど、残念ながら本当だ」と語った。

 いまや福島の人々は、この「不都合な真実」に気づき始めている。

 首都圏の繁栄は危険と隣り合わせだった福島の犠牲の上に築かれていた。もしも首都圏が繁栄を望むなら、福島をどうしてくれるのか。同じ問いは避難してきた福島の人々だけでなく、全国の原発立地地域から発せられるようになるだろう。

 これは地域主権の議論でもある。原発による電力エネルギーの恩恵だけを享受して、危険は引き受けない、という非対称な議論は地域主権の考え方と本質的に相容れない。危険性が地域限定である以上、それぞれの地域がどうエネルギーを確保するかは本来、その地域に委ねられるべき問題ではないか。

 これまでは霞が関中央集権体制の下で、福島のような地域が大きなリスクを背負わされてきた。だが、住民たちはもはや簡単にリスクに対して「イエス」とは言わないだろう。自分たちの置かれた立場を自覚するからだ。

 次が米国はじめ外国との関係である。

 米国は地震と津波の発生当初から「トモダチ作戦」と名付けられた救援作戦を大々的に展開してきた。放射能漏れが深刻化してからは、ウォルシュ米太平洋艦隊司令官が指揮をとって、被災者救援だけでなく原発事故にも日米で共同対処する姿勢を強めている。

米国の「トモダチ作戦」〔PHOTO〕gettyimages

 米国が日本を支援するのは、もちろん日本が重要な同盟国であり友人であるからだ。ただ善意だけに目を奪われると、もう一つの側面を見失ってしまう。それは「ここで日本を助けておけば、日本は米国にノーと言いにくくなる」という計算である。

 沖縄の米軍普天間飛行場移設問題に解決のめどが立っていないのは周知の通りだ。米軍によるフクシマ救済作戦が成功すれば、日本はフテンマ移設問題で米国にノーと言えるだろうか。米国の言い分を拒否するのが難しくなるのは当然である。しばらくは米国に頭が上がらない状態になるかもしれない。

日本への「支援貸し付け競争」という側面

 欧州では、フランスの支援が際だっている。フランスは毛布や水といった物資だけでなく救援専門家グループの派遣、遠隔操作ロボットや大気モニタリング用トレーラー、放射線の防護服や測定用トラック提供など本格的な技術支援作戦を展開している。

 サルコジ大統領は菅直人首相と会談するために31日、来日した。フランスはドイツとともに欧州の中軸を自負し、国際政治や経済、軍事面で常に米国と張り合ってきた歴史がある。原発をもっとも積極的に導入してきた国の一つでもある。

 サルコジの頭には、米国を横目で見ながら「この機会に日本でフランスの存在感を高めておきたい」という思惑があったに違いない。中国やロシアも米仏の行動を注目しているだろう。

 不謹慎な言い方に聞こえるかもしれないが、国際的な日本救援作戦は「日本への支援貸し付け競争」でもあるのだ。日本が各国の支援を必要としているのは間違いないし、感謝すべきでもある。同時に、舞台裏の事情にも目配りが欠かせない。

 第三に永田町への失望感である。

 地震直前まで永田町の焦点といえば、小沢一郎元民主党代表をめぐる政治とカネ問題であり、あるいは前原誠司前外相や菅首相への外国人献金問題だった。そうしたスキャンダルを材料に野党は政権を攻撃し、2011年度予算関連法案を人質にとって衆院解散・総選挙を迫ってきた。

 いま地震と津波、原発事故が人々に迫っているのは、文字通り「命と暮らし」の問題である。それに比べれば、人々の目に政府与党のスキャンダルは、いかにも矮小なものに映るのではないか。

 政治の役割は、つまるところ「国民の命と暮らしをどう守るか、そして生活を豊かにするか」に尽きる。「いまの政権は本来の責務を果たしているか」。今後、何年にもわたって、人々は放射能に汚染された空を見上げながら、否が応でも政治の根本的役割を問いかけるはずだ。

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