雑誌
独占密着 東京消防庁ハイパーレスキュー隊「出動現場!」
隊員が語った「放水現場の真実」。 恐怖、
使命感、「必ず帰ろう」と彼らは誓い合った
消防車のフロントガラスに置かれた白いプレートには、「必ず帰ろう!!」という手書きの文字が記されていた〔PHOTO〕柏木貴宏 (以下同)
21日早朝、17時間ぶりに体育館へ戻ってきた隊員。小雨のためレインコートを着用した

 福島第一原発から南方約50kmに位置する福島県・いわき市の上荒川公園。3月20日正午頃、同公園内のいわき市役所総合体育館前の広場は、物々しい雰囲気に包まれていた。

 オレンジ色の作業着をまとった男たちが慌しく駆け回っている。リーダー格の男が、険しい表情で携帯電話に向かって叫ぶ。

「もう1時間も出発が遅れている。これでは16時からの作業に間に合わない!」

 彼らの背中に刻印されている文字は、「東京消防庁」。制御不能で暴走し続ける福島第一原発を相手に連日格闘する、同庁のハイパーレスキュー隊を中心とした「緊急消防援助隊」である。

 本誌記者は、出発の準備に勤しむ若い隊員に声をかけた。すると、彼は消防車のフロントガラスを指差したのだった。

「必ず帰ろう!!」

 消防車の白い認識プレートにマジックでしっかりと文字が記されている。消防車のフロントガラスをトントンと叩きながら隊員は記者にこう語った。

「この言葉に私たち全員の気持ちが集約されているんです」

「頑張れよ」。21日昼、マイクロバスに乗り出発する隊員らを拍手で見送る前日に出動した隊員たち。士気は高い
隊員たちは出発前に、24時間効用がある安定ヨウ素剤を飲む。封を開けるのに手間取り、歯で食いちぎっていた

 隊員らを乗せた車列は、けたたましいサイレンを鳴らしながら、いまや〝戦場〟と化した福島第一原発へと向かった。

*

 東日本大震災発生の3月11日以降、福島第一原発では緊迫した状況が続いている。6基あるうちで、特に不安定な状態が続いているのが、3、4号機である。

「両基とも、貯蔵プール内の水位が下がり、使用済み核燃料が剝き出しになっている可能性が高い。破損した核燃料から大量の放射性物質が飛散する危険性が高まったのです」(全国紙社会部記者)

 原発の電源復旧作業を進め、冷却機能を回復させることが肝心だが、その前に貯蔵プールを水で満たし、プール内の温度を下げることが急務となった。この困難な作業に、最初に立ち向かったのは自衛隊だった。17日、自衛隊の大型輸送ヘリ2機が上空から、3号機の貯蔵プールへ7500ℓの海水を投下。

 しかし、上空の放射線量が高かったため思うように作業が進められなかった。同日夜には、警視庁機動隊が地上から約44tを放水。防護服だけで3号機の約50m地点にまで接近する危険すぎるミッションだったが、警察の装備では限界があった。

 そこで出動要請を受けたのが、ハイパーレスキュー隊だった。同隊は東京消防庁でも屈指の精鋭部隊として知られる。

「ハイパーレスキュー隊は、 '95年の阪神・淡路大震災後に創設され、 '04年の新潟県中越地震で2歳児を瓦礫の中から助け、脚光を集めた。今年2月のニュージーランド地震でも、現地に派遣されています」(前出・社会部記者)

 そして18日未明、車両30台、総勢139名からなるハイパーレスキュー隊を中心とした「緊急消防援助隊」が福島へ向かったのである。

俺たちはプロだから

 記者がハイパーレスキュー隊の取材に入ったのは、19日の深夜0時頃。ベースキャンプである、いわき市立総合体育館ですでに出動中の隊員たちの帰りを待つ。0時40分、放水開始のニュース速報が入り、緊迫する。果たして、隊員らは無事に任務を遂行できるのか。暗闇に包まれた体育館では、後方支援隊による食事の準備が進められていた。

19日午後2時頃、総勢102名の第2陣が東京から到着。同日帰京した第1陣の隊員から引き継ぎを受けていた

 第1陣が第一原発に入ってから7時間半経った午前5時過ぎ---。遠くから赤色灯が近づいてきた。冨岡豊彦総括隊長(47)が率いる約30名の部隊が帰ってきたのだ。いまだ緊張が解けないのか、険しい表情でバスから続々と降りてくる隊員たち。咳をする者も目立った。

 疲労のためだろう、まだらに整列した隊員らに冨岡隊長が叫ぶ。

「お疲れさん! 食事もお茶もあるが、寝たければ寝るもよし。解散!」

 隊員らは寝袋を担ぎ、体育館へと入っていった。毛布を被り一人路上で佇む冨岡隊長に記者が駆け寄ると、冨岡隊長は「お疲れさん」と声をかけてくれた。記者が「国民の一人として、みなさんの活動に感謝します」と述べると、冨岡隊長は頭を振り、こうこぼしたのだった。

「俺たちはプロだから・・・」

 冨岡隊長は詳しく語りたがらなかったが、彼らは大仕事をやり終えていた。第1陣は、瓦礫の山を掻き分け、海岸から約800mのホースを3号機前までつなぐことに成功。そして、高さ22mから放水できる「屈折放水塔車」から3号機に向かって、20分間、毎分3tを放水し続けたのである。

 その結果、約60ミリシーベルトあった現場の放射線量が一時的にほぼ0ミリシーベルトに下がった。その代償として、一番多い隊員で27ミリシーベルトの被曝を受けたが、この数値は、東京消防庁が定める原子力災害の現場での被曝量の基準値である30ミリシーベルトを下回る数値。ミッションは成功に終わった。

 9時間後の19日午後2時過ぎ、総勢102名の交代要員が体育館に到着した。威勢良く車両を飛び出し、駐車場内に整列する士気盛んな隊員らの姿を、駐車場の端で見つめる第一陣の隊員たちがいた。

 その中に冨岡隊長の姿もあった。

「昨日は、朝寒かったな。いやあ、本当に疲れたぁ・・・、疲れた! もう帰るよ」

 冨岡隊長の顔はミッションをやり遂げ、隊員たちを無事帰隊させることが出来た達成感で満ち溢れていた。

19日早朝、第一原発から戻った冨岡総括隊長。毛布を纏い、後から来る別の部隊の隊員も待ち続けた〔PHOTO〕岸武史

---お疲れ様でした。

「本当にみんな頑張ったよ・・・、よく頑張った。第2陣が引き継ぎ、成功してくれることを祈っている」

---明日からはどうされますか。

「早ければ明日から通常に戻る。また、いつも通りの任務が始まるよ」

 19日からは、第2陣の戦いが始まった。

 冒頭のシーンは、第2陣が大阪市消防局との共同作戦を行った20日の出発場面である。24時間効くというヨウ素剤をお茶で飲み干し、『カロリーメイト』を頬張りながら準備に追われる隊員たち。出発前、第一原発の敷地内に入るというある隊員は、家族のことを次のように語った。

「妻は『頑張って』と見送ってくれました。ただ、心配するので私が敷地内に入るということは言っていません」

 彼らが帰ってきたのは、小雨が降りしきる翌21日の午前7時頃であった。あるベテラン隊員は、3号機前での困難かつ危険な作業をこう振り返った。

「3号機に接近したのは、たったの8分間でしたが、放射能は目に見えないので、やはり怖かったです。放射線量が30ミリシーベルトを超えると、バックアップしてくれる隊員が持つ計器のアラームが鳴り、『そこは危ない』『そこは大丈夫』と知らせてくれます。仲間のその声を信じ、作業を続けました」

 21日午後にも出動したが、この日は2号機、3号機から煙が出て放射線量が高まったため、放水活動を中止し、翌22日の深夜0時頃に体育館に戻ってきた。

 午前1時頃、駐車スペースで後かたづけをしていたある隊員はこう語った。

「確かに私たちは東京の消防隊員です。しかし、私たちはそれ以前に、日本の消防隊員であると思っています。急な出動だったので、家族には会えないまま出かけてきました。子供はまだ小さくて私の任務を理解出来ません。ただ、電話口で妻に抱えられながら『パパ、頑張って』と言ってくれた。その声を聞いた時、家族のためにも、この任務を全うしなければならないと思いました」

 彼らの命がけの戦いに少しずつ成果があがってきている。ハイパーレスキュー隊は、22日午後3時からも、大阪市消防局と連携して3号機に約150tの海水を放水。自衛隊も連日、4号機への放水を続けた。そして、放水活動と平行して3号機の電源復旧作業を進めていた東京電力が22日午後10時、ついに3号機中央制御室への通電に成功したのだ。

 曖昧な情報発信を続ける東京電力、政府への国民の怒りは収まらないが、消防のプロフェッショナル、ハイパーレスキュー隊員たちの寡黙な闘いは続く。

現代ビジネスブック 第1弾
田原 総一朗
『Twitterの神々 新聞・テレビの時代は終わった』
(講談社刊、税込み1,575円)
発売中

amazonこちらをご覧ください。

楽天ブックスこちらをご覧ください。

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら