村上もとか 第3回 裁判官の父から生まれた名編集者「クンタさん」と「仁」の誕生秘話

撮影:立木義浩

第2回はこちらをご覧ください。

村上 それにしても、このエスプレッソマシーンはデザインがいいですね。モダンだけど、不思議な暖かみを感じる。

シマジ そうです。これはスグレモノです。不器用なわたしでも簡単に美味いエスプレッソが入れられるんですから。しかも手入れが簡単だから、このカフェだって私一人でやっていけるんです。これは見事な発明ですよ。それでは一杯飲んだところで本題に戻りましょうか。

村上 はいはい。

シマジ それでは少年サンデーの巻頭を輝かしく飾ったところに戻りますか。

村上 たしかに大騒動でした。少年ジャンプの西村繁雄さんに呼びつけられて「これはどういうことだ」とすごまれました。西村さんはサングラスをかけていて、なかなか迫力のある怖い人でした。あるとき担当だった山路さんが編集部に来られなくなって、代わりに西村さんのところに原稿を持っていくことになったんです。

 そのときに限って原稿が遅れに遅れ、深夜過ぎ編集部に行ったんです。真っ暗でだれもいない編集部に、西村さんの机の上だけ灯りが灯っていたんです。「これはえらいことになった。ぶん殴られるかもしれないな」と、恐る恐る原稿を提出すると、サングラスをかけた西村さんに一言「おれは新人に原稿を待たされたのは、生まれてはじめてだ」と口元を独特に曲げて言われたんです。そのときは正直、縮みあがりました。

シマジ でも、西村さんは顔に似合わず、心やさしい人ですよ。

村上 そうです。顔は苦みばしっていても、そのときは笑ってるようにみえました。

シマジ 彼は上質なエスプレッソのような男でした。

 実は、わたしが若気の至りで辞表を書いて問題になり、プレイボーイ編集部から左遷されたことがあるんです。そのときはジャンプ編集部の西村部長に部長付きとして引き取ってもらい、一時期、お世話になったことがあったんです。そのとき西村さんが「きみはいままでひと月いくら取材費を使ってたんだ」と訊くから、わたしははったりで「300万円くらいですかね」と答えたら「それを認めてやるから、沢山の才能ある新しい人たちに会いなさい」と夢のような返事をくれたんです。

 わたしはその恩は一生忘れていませんよ。実際、そのときに築いた人脈で、その後「Bart」という雑誌を創刊したんです。

村上 いいお話ですね。

シマジ まあジャンプグループいうのは、集英社の米びつみたいなものですからね。そのころはコミックダラーが唸るほどあったんでしょう。