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津波から決死の逃走、そして消えた集落

被災地からの報告 泣くな東北、春が来る
道路が完全に地割れを起こしていた。岩手県陸前高田市 〔PHOTO〕岡田康且(以下同)

 一瞬にしてすべてが失われた。財産も家も車も船も、多くの命までも・・・。突如として牙を剥いた自然の猛威に、人間はなすすべもなく惑い、泣いた。しかし我々は、このまま負けるわけにはいかない。

俊足自慢も津波に勝てず

船が浜から1km内陸まで運ばれた。岩手県大船渡市

 最も激しい被害を受けた街のひとつ、岩手県陸前高田市。避難所となった小学校の校庭から、惚けたように海を眺めている女性がいた。顔も腕も傷だらけだ。

「地震がきた時、私は父親のオムツを買うためスーパーにいました。あまりの揺れの大きさに、買い物袋を放り出して車に乗り、逃げようとしました。『津波が来るぞー!』という叫び声が聞こえました。道路に出ると車が渋滞して動けない。降りて前の車を覗くと、誰も乗ってなかった。

 その時、背後から音がしたんです。これまで聞いたことのない、ゴウォォーという地鳴りのような音でした。振り返ると、スーパーの先のホテルが津波にのみ込まれるのが見えた。誰かに『逃げろっ!』と言われて、我に返って高台に走りました。水がどんどん迫ってきて、気づいたら腰の高さで、次の瞬間、私は津波にのまれていました」

 意識を回復したのは、民家の屋根の上。全身ずぶ濡れだった。

「目と鼻の先にあるはずの父親の家が、なかった。中には父と犬がいた。知らない人に救助された時、初めて脚から出血していることに気づいた。夫とも連絡がつきません。職場の人にきいてもわからないって。どこかで寒くて震えているのでしょうか。私はどうしたらいいのでしょうか。悲しいはずなのに、気持ちが昂ぶって悲しみさえ感じられないのです。夫も父も小太郎(犬)も、みんないなくなってしまった」

 同じ陸前高田で、手をつないで歩く兄妹がいた。瓦礫の中、あちこちでしゃがみ込み、土を掘り起こす。兄は10歳くらいか。動きは緩慢で顔にも生気がない。

「お母さんを捜しています。どこにいるのかわかりません。たぶん、このあたりだと思うんです」

 人々の命を奪ったのは地震そのものではない。津波だ。現場に立つと、それが痛いほどわかる。海沿いのエリアは更地に。海から少し離れると、ヘドロまみれの瓦礫と車と船。そして視線を丘の上に向けると---そこには平時と変わらず整然と住宅が並んでいる。

 わずか数百mの差が天国と地獄を分ける。それが津波災害なのだ。

 逆に言えば、九死に一生を得た人は皆、「津波から逃げ切った人」だった。その決死の逃走劇を、いくつかここに記しておこう。

「津波に追っかけられて、こりゃダメだ、と覚悟しました。あんな恐怖生まれて初めてだった」

 そう語るのは岩手県宮古市の大倉豊一さん(53歳)。地震が起きた時は、堤防から200mほど離れた自宅にいた。

「これまで津波警報が出てもせいぜい1mだったから大丈夫だろう、と堤防に向かった。そしたらどデカい津波が沖からやってくるのが見えた。堤防には他にも人がいたけど、クモの子散らすように逃げ出した。今もサッカーやってて脚には自信がある。でもその脚が震えてしまって自分の脚じゃないみたいだった。

 堤防を軽々と越えて、津波が追っかけてきた。全速力でダッシュしても波のほうが速い。追いつかれる、もうダメだ! と思った瞬間、自宅へと曲がる横道が見えたので夢中で駆け込んだ。そしたら、ゴワーッて音立てて水が大通りを流れてったんだ。横道に水が入ってくるまで、たぶん数秒だけど時間があった。そのスキに家に飛び込み、2階に駆け上がったんだ」

 助かった今だからこそ、「津波にフェイントかけたったよ」と笑うが、あと数秒、いや1秒曲がるのが遅ければ、大倉さんはここにいなかった。

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