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「絶望の現場」と「死地からの生還」
巨大震災「壊滅の街」を往く
宮城県東松島市の野蒜(のびる)小学校の体育館に並べられた遺体を前に、涙をながす遺族〔PHOTO〕小檜山毅彦

 流木とヘドロと油の腐臭、不気味に爆発を繰り返すプロパンガス、毛布にくるまれた遺体・・・そして奇跡的に生き延びた人びとの声

 岩手県陸前高田市の市立第一中学校には、1000人ほどの被災者がいる。同市内で梱包資材の会社を経営する47歳の男性は、第一中学校の体育館で、迫り来る津波の恐怖を記者に淡々と語った。

「あの恐ろしい光景を、私は一生忘れません。市役所から『津波が近づいています』という放送が流れた直後、3階建ての会社のビルの2階窓から外を見ると、どす黒い水が激しい勢いで地面を流れているのが見えました。私は慌てて、屋上へと駆け上がったんです。屋上に出て周囲を見渡すと、辺り一面は材木やゴミの流れる真っ黒な水で覆われています。普段は下に見えていた、『養老乃瀧』の屋根も水中に没して見えません。ゴーゴーという不気味な音とともに、水かさはどんどん増して屋上に迫ってきます。何かを考える余裕などありませんでした」

 陸前高田市を壊滅させた巨大地震が発生したのは、この男性の生後1ヵ月になる子供のお宮参りの日だった。男性は自宅で妻や両家の両親らとの昼食を終えた後、岩手県大船渡市の実家へ車で帰る妻たちを見送った。自宅に戻りしばらくくつろいで、会社へ行こうと着替えをしている時に、ドーンと下から突き上げられるような衝撃を感じたという。

「激しい揺れは、数分経っても収まる気配がありません。倒れそうになる液晶テレビを慌てて押さえましたが、電子レンジの上に置いてあったトースターなど、いろいろなモノが飛んできます。揺れがようやく落ち着くと、会社に先に戻った両親と弟のことが気になり、近所にある自社ビルに向かいました。幸い両親は『初めて経験した揺れだ』と話していましたが無事だったので、私は部屋の様子を確認しに、また自宅に戻ったのです」

岩手県上閉伊郡大槌町(かみへいぐんおおつち)で、瓦礫の中から遺体を収容する自衛隊員。同町では道路が寸断され、520人ほどが孤立〔PHOTO〕幸多潤平

 あらためて自宅にも大きな被害はないことが分かると、男性は再び会社に戻る。だが、そこには両親も弟もいなかった。後で判明したことだが、彼らは津波が来るという知らせを受け、避難所に指定されていた市民会館に移っていたのだ。

「市の津波警報を聞いたのは、会社に着いた時です。私はとっさに、両親や弟たちが屋上に避難したのだと考えました。屋上に出た私は濁流の凄まじさに危険を感じ、屋上にあるドアの上に設置された貯水タンクに上がったのです。

取材に応えてくれた陸前高田市の男性。「全国の方の支援をお願いしたい」と訴えた〔PHOTO〕吉田暁史

 急いでハシゴを上り、下を見てギョッとしました。津波はビル全体を飲み込み、私の足下まで水面が迫っていたのです。ハシゴを上るのがあと10秒遅れていたら、私は濁流に流されていたでしょう」

 そして周りに目を向けると、さらなる衝撃が男性を襲う。

「360度、黒い水しか見えません。近くには高いビルもないため、すべての建物が水没していたのです。ビルの隣にある避難所に指定されていた3階建ての市民会館は、完全に水没していました。これでは両親や弟も、助かりようがありません。

『みんな死んでしまったのか・・・』。目の前が突然暗くなる思いでした」

東松島市野蒜地区だけで、これまでに200体ほどの遺体が見つかっている。小学校の安置所もいっぱいの状態だ〔PHOTO〕小檜山毅彦
被災地では、救助犬も活躍している。写真は大槌町で活動する、レスキュー隊の救助犬だ〔PHOTO〕幸多潤平
東松島市で、半壊した家屋を捜索する自衛隊員。被災地には、全国から6万人以上の自衛隊員が派遣されている〔PHOTO〕小檜山毅彦
宮城県・南三陸町では、1000人にのぼる遺体が発見されている。子供たちも志津川小学校で避難所生活を強いられているが、表情は明るい〔PHOTO〕小檜山毅彦

妻と子を探して・・・

 水位の上昇はギリギリで止まったが、水はなかなか引かない。目を凝らすと、150mほど離れた3階建ての市役所の屋上に、数人が避難しているのが確認できた。彼らは男性に向かって一生懸命に叫んでいたが、距離があるため何を言っているのか分からなかったという。

「日も落ちて真っ暗になった上に、雪まで降り始めました。耐え難い寒さです。防寒具もありません。幸い、少し水位が下がって屋上も見えていたので、降りて階下へのドアを開けると45ℓのビニール製ゴミ袋がありました。そのビニール袋を5~6枚重ねてかぶり、破った部分から首と両手を出して寒さを何とか凌いでいたのです。何度かうとうとしましたが、サーッという水が流れる音や余震で、すぐに目が覚めてしまいます。

 明け方5時頃、ようやくヘリコプターの音が聞こえてきました。私は流木で、屋上に溜まったヘドロの上に『SOS 外に出られない』と書いたんです。昼頃にようやく自衛隊のヘリコプターからレスキュー隊員が屋上に降りてきて、私は救助されました。ヘリコプターの窓から見えるのは、水の中に点々とする壊れた建物の残骸ばかり。不謹慎かもしれませんが『悲惨な目に遭ったのは自分だけじゃないんだ』と思いました」

 男性は第一中学校に輸送されたが、とにかく妻子の安否が気になった。救助された翌日、彼は2時間半かけて徒歩で妻の実家のある大船渡市に向かう。

「地震の直後に妻から携帯に電話が入り、話をしたんです。『今どこにいるの?』と聞くと『「ホテル丸森」のあたりにいたけど、今は大船渡警察にいる』と言います。ホテルは高台にありますが、警察署は低所です。赤ん坊のこともあったので私は、『大船渡病院に逃げろ』と忠告しました。妻は『分かった』と言って電話を切ったので、その言葉を信じ大船渡病院に向かったのです。妻と子供は病院にも避難所の市民文化会館にもいませんでしたが、その後、妻の親戚から『実家で無事にいる』と知らされ安堵しています。

野蒜小学校近くを、手をつないで歩く親子。避難所では、少ない食料を分け合うなど、家族で助け合う姿も見られた〔PHOTO〕小檜山毅彦

 私は両親と弟の遺体がないかと、安置所の陸前高田市立米崎中学校にも行ったんです。でも遺体確認は、すぐにはできないのですね。名前や服装、身体の特徴などを記入した指定の用紙を警察に渡すと、『特徴が合致する遺体があれば、後日こちらから連絡します』と言われました。遺体でもかまわない、早く両親や弟と再会したいです」

 そして男性は取材の最後に、気丈にもこんな言葉も残した。

「ずっとふさぎ込んでいる訳にはいかないので、生き残った者が力を合わせます。街の再起に尽力したいと思います」

 復興への道のりは遠く安易ではないが、死地から生還した人々は絶望を乗り越え、再び力強く立ち上がろうとしている。

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