余震の中で新聞を作るVol.34 ~除染に挑む・飯舘
河北新報編集委員が記録する「被災地のジャーナリズム」
種まきの作業準備

vol.33はこちらをご覧ください。

写真・文/寺島英弥 (河北新報編集委員)

42回目 ~除染に挑む・飯舘

 9月23日、福島県飯舘村に向かいました。相馬市から国道115号を西(福島市方向)へ約40分。山峡の道を南に折れ、車は一気に飯舘への峠を登ります。両側を白いススキが埋め、道がぐんぐんと標高を増すごとに秋色は深まっていきます。やがて山林が途切れて民家や川、農地が現れ、ススキの穂の向こう側にある田んぼは春の景色と一変。やはり福島第1原子量発電所の事故のために作付を禁じられた南相馬市内の田んぼと同様、雑草が高く生い茂って、昔の原野に戻ろうとしているかのようにも見えました。

 このルートでの飯舘村の入り口が佐須地区。相馬地方の「山の神」として信仰される、山津見神社で知られる土地です。追分道にある神社の大きな看板の下ではコスモスが咲き乱れ、秋風が立つ集落には人影もありません。目的地はその中の1軒、村の農業委員会会長を務める農家、菅野宗夫さん(60)の家です。猫が2匹、長々と寝そべる庭先には、既に先客の車が何台も止まっていました。

 居間には20人余りの人が集って、畳の上でミーティングをしています。

 「きょうの活動は2つだね。宗夫さんの(自宅そばの)畑と牧草地で、放射性セシウムの吸い上げ実験をする植物の種まきをするグループ。もう1つは、地元の佐須神社を含めた山林の放射線量を測定するグループ。測定が終わったら、やはり種まきをする予定の牧草地に移って、事前の線量測定をする。こんなプランでいいですよね」。

10月5日付河北新報の記事(写真中央が田尾さん)
拡大画像表示

 まとめ役は、田尾陽一さん(70)。工学院大客員教授、早稲田大理工学部の客員研究員で、ビジネス界では警備保障システム開発のパイオニアとして知られる人です。プランの説明を聴きながら、パソコンを開いてデータなどを確かめる参加者たちもいました。携帯電話は圏外の地区ですが、宗夫さん宅には独自にネット環境を整えているそうです。

 ミーティングが終わると、参加者たちは外に出て、それぞれの準備を始めました。種まきのグループは庭先に積んだ袋詰めの肥料などを確認し、作付けプランに沿って種を分けます。既に7月から、農水省の研究所OBの指導で、育ちが早いソルガムというモロコシ系の雑穀を畑にまいて育て、収穫して、つくば市にある研究機関で調べてもらうそうです。

 これから種をまくのは、冬越しをして春に収穫する菜種やイタリアングラスなど9種類。畑と、刈り取りをして表土を出した牧草地を、それぞれ24区画に分けて栽培するプランです。「吸い上げるもの、吸い上げなくても健全に育つもの、バイオ燃料になるなど生産性のよいものはないか。それを調べる。飯舘の人たちと一緒に、この村の自然、生活と産業を再生することに主眼を置いた実証の場にしたいんだ」