"小沢離れ"を加速させて大化けするかーー輿石東幹事長が受け継ぐ金丸信の「融通無碍のDNA」
輿石東(こしいし・あずま)という政治家はいかなる人物なのか〔PHOTO〕gettyimages

 10月6日夕方、資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡り政治資金規正法違反(虚偽記載)で強制起訴された民主党元代表の小沢一郎被告は初公判を終えた後、衆院第二議員会館で記者会見を行った。同氏は会見冒頭、法廷で弁護人が読み上げた被告人陳述書を再読、先月26日の3人の元秘書への有罪判決及び自らの強制起訴を「法治国家では到底許されない暴力行為だ」と断じた。検察批判だけでなく裁判そのものの取り止めを求めた。

 ところが同日夜、小沢氏は都内赤坂の中国料理店で側近議員と会食、東京・世田谷深沢の自宅に帰宅後に腰の痛みを訴え、7日未明救急車で東京医科大学付属病院に搬送されたのだ。「小沢氏緊急入院」の第一報が伝わるや政界・マスコミ界は大騒ぎとなった。

 一夜明けた7日午前、小沢氏は輿石東民主党幹事長に電話、病名は尿管結石であること、そしてしばらく入院の必要があることを伝えたという。その輿石氏だが、"大化け"しそうな予感がする。

 先週日曜日(10月2日)午前のNHK「日曜討論」とテレビ朝日「報道ステーションSUNDAY」に相次いで出演した輿石氏がかなり踏み込んだ発言を行い、党内外の関係者の耳目を集めた。

「小沢側近」というのは本当か?

 具体的には、野田佳彦首相にとっての「1丁目1番地」である税と社会保障の一体改革の法案化を急ぎ、早期の国会成立を目指すことを言明したことである。与党幹事長として野田政権の政策優先度(プライオリティ)第1位である税と社会保障の一体改革を推進すると発言したことは重い。

  来年1月召集の通常国会会期中の3月には法案提出が見込まれる。それにしても、党内最大勢力を誇る小沢グループとの距離感を考えると、輿石氏が今後"小沢離れ"を加速させる予兆と見ることができるからだ。

 そもそも輿石東(こしいし・あずま)という政治家はいかなる人物なのか。1936年(昭和11年)5月14日、山梨県韮崎市生まれ。75歳。山梨県教職員組合委員長、県労連議長を経て1990年2月の衆院選(山梨全県区)に支持基盤の日教組をバックに社会党公認候補として立候補・初当選を果たした。

 が、小選挙区制度導入後初めての96年10月の総選挙(山梨県1区)では旧民主党から立候補するも落選、離党。そして98年7月の参院選(山梨選挙区)に無所属で立候補・当選、旧民主党に復党。以来、参院議員を3期務めている。この間、民主党参院国対委員長、参院幹事長、参院議員会長、代表代行を歴任。9月2日の野田政権発足により、参院議員として初めて政権党の幹事長に就任した。

 マスメディアは輿石氏を「小沢の右腕」「小沢の側近」と書く。安倍晋三政権下の07年参院選で自民党が大敗を喫したことでねじれ国会が出来、参院議員会長の同氏を当時の小沢代表が重用するようになったことが、その端緒だった。

 だが、本当に輿石氏は「小沢の側近」「小沢の右腕」なのか?

 この点については、山梨県の政治文化を理解する必要がある。それを一言でいえば、故金丸信元自民党副総裁に象徴される「融通無碍」がその特色である。同県の政治風土には伝統的に「保守と革新」の違いがなかった。平たく言えば、物事の判断の軸は「まぁまぁ」であって、集合の総体が割れないことがすべてに優先される。

 逆に、利害が一致しなければ、直ぐにも別れる。そんな同県の政治文化の権化であった金丸氏に、輿石氏は県教職員組合委員長時代の85年前後、同郷の当時の田中一雄日教組委員長から紹介されたのだ。小沢氏との付き合いよりはるか前に小沢氏の後見人だった金丸氏の知己を得たのである。

 社会党衆院議員1年生当時の輿石氏にとって、当時の自民党幹事長小沢氏(当選8回)は対立する与党の大幹事長であり、言わば仰ぎ見る存在だった。一方、すでに自民党総務会長、幹事長を歴任している金丸氏(12回)は永田町のシニオリティシステム(当選回数主義)からすればまさに雲上人であったものの、金丸氏の盟友だった田邊誠社会党委員長を通じて同氏と細いチャネルは繋がっていたという。要は、輿石氏は融通無碍の金丸信という政治家のDNAを引き継いでいるということである。

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