安直なメディアとしたたかな小沢戦略
「社民外し」を睨み「引き抜き工作」

 小沢一郎民主党幹事長の土地疑惑事件は小沢不起訴でひとまず終わった。

 小沢は不起訴を受けて記者会見で「不正なカネを受け取っていないことが明白になった」と述べて"潔白"を宣言した。ところが、多くのメディアはこれに納得せず、小沢に対する責任追及の論調を変えていない。

 たとえば、一貫して小沢批判を続けている産経新聞は『小沢氏「潔白」宣言 開き直りとしか思えない』という社説を掲げて政治的責任を追及している(2月10日付け)。

 地方紙も同様で、中国新聞は『小沢幹事長続投 国民は納得していない』という社説で鳩山首相に幹事長更迭を求めた()。

 こうした主張の背景には、両紙も言及しているように、世論調査で「幹事長を辞任すべきだ」という意見が7割前後に達している事実がある。いわば、国民の「世論」を背負った社説である。

 「多くの国民が結末に納得していず、幹事長を辞めよと言っている。私たちもそう思う。だから責任をとれ」という立論と言っていい。

 これに対して、小沢自身はどうかと言えば「小沢は不正なカネを受け取った、けしからん人物だという報道が続いた。その後の世論調査だ。潔白だったという報道を同じように続けていただき、その後に世論調査をしていただければ、そのときコメントします」と会見で答えている。

 さて、こういう展開をどうみるか。

週刊誌の「小沢疑惑」報道を黙殺した新聞

 前のコラムでも書いたが、誤解を避けるためにもう一度、念を押しておく。

 私自身は小沢を擁護するつもりはさらさらない。それどころか、小沢が舞台裏で重要政策を決定し、国民は小沢の「代理人」である鳩山由紀夫首相から国会で説明を聞くしかないような現在の状況は、根本的にゆがんだ政治であると思っている(たとえば『FACTA』2月号の筆者連載コラム『政々堂々』)。

 そう断ったうえで書くが、メディアがさんざん小沢疑惑を報じた後で世論調査をすれば、多くの国民が事件の結末に納得しない結果が出るのは当然だ。検察の尻馬に乗ったような形で自分で火を付けておいて、派手に燃え上がらなかったから「納得できない、辞めよ」というのは、ちょっと軽はずみなのではないか。

「検察の尻馬に乗った」と書くと、反発する向きもあるかもしれない。だが、かつて『週刊現代』や『週刊文春』が小沢疑惑を書き続けたとき、新聞やテレビは無視していて、検察が動き出してから大報道を展開したのだから大きなことは言えない。私自身もそうだ。私の手元にはいまも、数年前に集めた一連の土地購入やら政治資金やらに関する基礎資料ファイルがある。小沢疑惑を取材しかかったが結局、なにも書けなかった。

 それはともかく、中国新聞の社説にはこういう一文がある。

「不起訴になったのは虚偽記入に関与した証拠が十分集まらなかったからにすぎない」

 社会面も含めれば、似たような記事はほかの新聞にもあったと思う。

 私はこういう文章を新聞がさらっと書いてしまう事態を前にして、恐怖感に近い感覚に襲われる。

  証拠が十分集まらなければ、不起訴になるのは当然ではないか。それなのに、あたかも「証拠不十分で不起訴とはけしからん」という感情的反発が文章ににじみ出ている。肝心の事実関係も法理もかなぐり捨てて、大衆のいらだちをそのままぶつけているのである。

 新聞がそんなに冷静さを失っていいのだろうか。

 野党の政治家が「白ではなく、黒に近い灰色」と小沢を断罪するのは当たり前だ。彼らはナマの権力闘争を戦っているのだから。だが、新聞までが根拠もなく同調してしまうのは危険である。読者に冷静な判断を求めるのではなくて、大衆感情に訴えてあおっているようなものではないか。

 小沢疑惑の法的処理が一段落した後で(捜査が続く可能性はあるが、それは措く)、なおメディアが小沢批判をするなら、もっと理性的な批判が必要である。

 「自分たちの報道が作り出した世論」という点をメディアが厳しく自覚するのであれば、自分がつくった世論を根拠に批判するのは「自作自演である」と指摘されてもしかたがない。それでは、だめなのだ。

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