川口マーン惠美「シュトゥットガルト通信」

映画"Taste The Waste"を見て考えさせられた大量の食糧がゴミになっている現実

2011年09月30日(金) 川口マーン惠美
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 "Taste The Waste"、「ゴミを召し上がれ」。衝撃的な映画だった。いかに多くの食糧がゴミになっているかという現実を、世界のあちこちで取材したドキュメント。見ているうちに、これは先進国の巨大なスキャンダルだということがわかってくる。制作はドイツ人。日本の映像も出てくる。全体的にセンセーショナルに走らず、落ち着いた作りだが、それでも、いや、それだけに強烈にショックだった。

映画館の前に貼ってあるポスター

 食糧の無駄は、家庭で食べずに捨ててしまう物ももちろんあるが、多くの物は店頭に並ぶ前に手つかずで捨てられてしまう。まずは生産者の下で、そして、流通の過程で。

 たとえば、大きすぎたり小さすぎたり、でこぼこした形のジャガイモは、畑に放置される。放置率40-50%。レタスなど葉物も、やはり育ち過ぎなどで半分が放置。トマトはスキャンされ、大きさだけではなく、赤色が薄い物、濃いものも失格。曲がったキュウリも箱に詰めるときに不都合なので商品にしない。

 農民は精魂こめて作ったのだ。心が痛むに違いないが、出荷しても売れなければどうしようもない。何を売るか、売らないかは、生産者ではなく販売者が決める。つまり、多くの農作物は、私たちが目にする前に葬られてしまうということだ。

 野菜が巨大なベルトコンベアーに乗って、あっちで落っこち、こっちでカーブしながら分別され、洗浄され、乾かされ、最後に同じ形の規格品だけが整然と梱包されて行く様子は、まさに工業製品だ。農業は私たちが知らない間に、想像もしていなかった方向に進化してしまったらしい。脱落した野菜は、別に品質が劣るわけではない。見かけと大きさが規格外だから廃棄される。もったいないなどという悠長な言葉では追いつかない。

 もっと遠くの生産者にしても同じだ。たとえばアフリカのカメルーンのバナナ農園。ヨーロッパの資本が投下され、安価で高品質のバナナがヨーロッパへの輸出用として栽培されている。バナナ農園での作業は過酷な重労働だという話を、一昨年、スペインのカナリア諸島に行ったときに聞いた。そのため私の訪れたテネリフェ島では、多くのバナナ農園が働き手不足ですでに閉鎖されていた。

 しかし、カメルーンの原住民には選択肢がない。バナナ農園に土地を奪われ、そのままそこで低賃金で働き続ける以外に生き延びることができない。ここのバナナも出荷に当たって、長さ、太さ、色、そして、一本の果房についているバナナの数まで決められているという。やはり工業製品に等しい。

 ドイツのスーパーでのバナナの値段は、日本円に換算すると1キロ200円足らずで、ただも同然。少し黒くなったらポイッと捨てても、お財布は痛まない。重労働の末、箱に詰められ、4000キロも輸送されてきたバナナは、終着駅であっけなくゴミ箱行き。私たちにしてみれば、また買ってくればいいだけのことだ。カメルーンでは、バナナはもともと主食であったが、今では貧しい住民は高くてなかなか買えないという話だった。

 流通としては、パリ近郊の大卸売市場の様子が出てくる。責任者が続々入荷してくる商品を見て、競りに掛ける物と掛けない物を選別していく。スペインのオレンジが少し熟れ過ぎで失格。傷んでいるのは1箱に1、2個だが、そんなことはお構いなし。その日、880箱、8.8トンのオレンジがまさに手つかずのまま処分された。ここに運ばれるまでに、どれだけの人の汗が流れたかと思うと、痛々しくて息が詰まる。しかし責任者は、「もっと大量に処分することも多い」と極めてクール。

 私が一番悲しかったのは魚の映像だった。卸売市場で一番頻繁にゴミになるのが魚だ。その日のうちに売れなかった物はすべて廃棄処分、養殖魚も天然物も同じ運命だ。太古の昔から海を泳いでいた魚たち。せっかく今日まで生き延びたその子孫が、今、卸売市場で山積みになっている。いったい何のために殺されたのだろう? それもこんなに大量に。ただゴミになるため? 

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