『ウィキリークス アサンジの戦争』
著者:デヴィット・リー&ルークハーディング

アサンジにもっとも早く、深く密着した『ガーディアン』が明かした真相

 わずかではあるが、今度はアサンジも前向きな姿勢を見せた。彼が懇意にしているアイスランドの国会議員、ビルギッタ・ヨンスドティルの連絡先を送ってきたのだ。彼女は米軍ヘリのビデオ制作でウィキリークスに協力した経緯があり、彼女のツイートを巡って、のちに米司法省が召喚状を出そうと試みている。また、アサンジは、彼の代理人であるクリスティン・フランソンについても触れた上で、最後にこう書いていた。「セキュリティ上の理由から私自身がインタビューに応じることは出来ない。だが、そちらからの連絡はすべて受け取っている」。

 こうしてデイヴィスはヨンスドティル、フランソン、その他のウィキリークス・メンバーにもメールを送り、そのうち何人かとは電話でも話をした。前進だと感じた。だが、彼はひどく不安でもあった。ただ「ウィキリークスの情報を共有したい」と要求するだけでは、インターネット上で見下されがちな、〝貪欲で二枚舌のMSM〟---大手メディアの一員にすぎないとアサンジに思われるのは目に見えていた。何かもっと良い方法はないものか。最終的に「ガーディアン」が公電を入手し、同時にアサンジ自身の問題をも解決出来るような方法が---。

 6月19日日曜日の夜、デイヴィスに電話が入る。情報提供者からだった。

「私から聞いたとはジュリアンに言わないでほしい。彼は明日の欧州議会で記者会見を開くため、ブリュッセルに向かう」

 デイヴィスは興奮しながら「ガーディアン」編集主幹のアラン・ラスブリジャーに電話をかけた。ラスブリジャーとデイヴィスは1979年、共に駆け出し記者として業界入りしたいわば戦友で、住まいもロンドンのクラーケンウェルの近所同士である。「必ず価値があるネタを見つけてくるから」とたびたび口にするデイヴィスに、ラスブリジャーは全幅の信頼を寄せ、自由な取材活動を認めているほどの間柄だった。デイヴィスがイギリスの貧困・教育制度から警察の腐敗に至るさまざまな分野を長期にわたって取材することが出来たのはラスブリジャーのおかげだったと言っても過言ではない。

「アラン、ブラッドリー・マニングのことは知ってるかい?」

 デイヴィスが訊いた。

「あまり知らないな」

「地球上で最大のデカいネタになるぞ」

「いいだろう」。ラスブリジャーは了解した。

「ブリュッセルに飛んでくれ」

 だが、デイヴィス自身は翌日のブリュッセルでの会見には間に合わない。そこでラスブリジャーは、欧州総局長として欧州連合の主要機関が集うブリュッセルにいる、ベテラン記者のイアン・トレイナーに、アサンジを現地で捕まえ、そのまま引き留めさせるよう提案したのだった。

 その夜、デイヴィスはトレイナーにメールを出した。

「ブラッドリー・マニング。22歳。アメリカ人情報分析官。バグダッド近郊の米軍基地勤務中に、2件の極秘通信ネットワークにアクセス。1件は世界中の米国大使館から送られる〝機密〟情報、もう1件は米国諜報機関から届く〝最高機密〟情報だ。目の前の現実が気に入らなかったマニングは、その大量の情報をCDにコピーした」

 さらにデイヴィスは、マニングがその直後にとった行動のうち、「良かったこと」「悪かったこと」についても記した。「良かったこと」はアサンジへの接触、そして「悪かったこと」は孤独な米国人ハッカーのラモに自分の行為を漏らしたことだ。

 こうしてある程度の状況を説明した上で、デイヴィスはトレイナーに午後1時から行われるアサンジの会見に向かってくれるよう頼んだ。

「これは長期的に一種の同盟を結ぼうという提案だ。マニングが渡したとされる資料をアサンジが公開すれば、我々も関与する------という意味でね」

 翌日のブリュッセルで、トレイナーはアサンジの協力者であるアイスランドの国会議員、ビルギッタ・ヨンスドティルの居場所を突き止めた。彼女がカフェで2人の男と一緒にいるところを発見したのだ。男のうち1人はアイスランド風のウールセーターを着ていた。実は、この人物こそがアサンジ本人だったのだが、顔を知らなかったために、そのときは気づかなかったのである。

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