古賀茂明に続く「志ある若手官僚」から政策を公募する『政策オーディション』をやったらどうか
朝霞に公務員住宅など建てている場合じゃない

 古賀茂明さんが経済産業省を退職した、というより退職させられたと言うべきだろう。霞が関では厄介者が片付いてひと安心という守旧派幹部と、悔しい思いで古賀さんを見送った若手改革派がいた。

 古賀さん退職の朝、国会では野田内閣初めての予算委員会が開かれた。私は、質疑開始前、衆議院第一委員室に乗り込んで、枝野経産大臣に英エコノミスト誌の古賀さんに関する記事のコピーを渡した。

 この記事は「もし、枝野大臣にセンスと勇気があれば、古賀氏を事務次官にするだろう。この国の不幸は、古賀氏のように正しい道に向かって奮闘する人々が登用されず、追放されることだ」と結んでいる。

 枝野大臣は「ああ、この記事は知ってますよ」と苦笑いしながら、気まずそうに受け取った。

 蓮舫大臣には記者会見で「古賀さんの本は読んでいない」と言っていたので、古賀さん自筆の署名入り「日本中枢の崩壊」を手渡した。蓮舫氏は「きのう2人でテレビに出ていたじゃないですか」といいながら、決まり悪そうに受け取った。

 民主党政権がスタートした時は、事業仕分けで大フィーバーしたおふたりだったが、古賀さんをブレーンとして使う覚悟も器量もないことがバレてしまった。2年近く幽閉されていた古賀さんを側近に採用することは、野田氏や仙谷由人氏に象徴される霞が関色にドップリ染まった民主党そのものを否定するに等しい。

古賀茂明氏をなぜ活用できないのか

 私が行革担当大臣をやっていた3年前、「絶対に通らない」と言われていた公務員制度改革基本法が成立し、同法に基づく事務局を設置することになった。最初は公募によって改革派を集める算段だったが、官邸から待ったがかかり阻止された。

 当時の福田康夫総理と大激論の末、私が提出した事務局リストに審議官級幹部で入れておいたのが、古賀さんだった。古賀さんは健康上の理由で、1か月くらい遅れて事務局に着任した。私にはこの上ない心強い同志だった。

 しかし、福田内閣は改造され、当時の自民党幹事長には麻生太郎氏が就任。「過激派は一掃してほしい」と福田総理に言ったとか。私は改造人事で任を解かれ、古賀さんは事務局幹部として残った。