新日鉄と住金は新日本モデルを築けるか
12年越しの信頼構築が、合併交渉に発展
〔PHOTO〕gettyimages

 日本の商慣行を揺るがせた、あの「ゴーン・ショック」から12年。新日本製鉄と住友金属工業がついに合併交渉のテーブルに着いた。2012年10月に誕生予定の"日の丸企業"は、世界第2の鉄鋼会社の座を奪還するという。

 見逃せないのは、両社が合併交渉に至った背景に、現場の事業提携から始めて信頼関係を作ることに時間をかける日本的なアプローチがあったことである。

 こうしたアプローチは、世界市場で主流の米国的な金融ファンド型経営の対極に位置するものだ。スピードを重視するあまり、資本力に勝る企業が資本の論理をふりかざして、敵対的買収や買収先企業の解体・転売を多用する手法へのアンチテーゼと言える。

 ただ、両社の交渉は緒に着いたばかりだ。実現には試練も予想される。両社には、その困難を乗り越えて日本的経営の新たな成功モデルを作りあげて貰いたい。

 新日鉄の宗岡正二社長と住金の友野宏社長は2月3日、都内のホテルで、将来、戦後鉄鋼史の3指に入る事件だったと振り返られることになるかもしれない記者会見を開いた。そして、両社長は「名実ともに世界トップクラスの総合鉄鋼メーカーに発展することを目指す」との力強いステートメントを発表した。

 2010年の実績によると、両社を併せた粗鋼生産量は4780万トン(新日鉄3448万トン、住金1332万トン)。これは河北鋼鉄集団、宝鋼集団、武漢鋼鉄(以上、中国)、ポスコ(韓国)の4社をごぼう抜きにして、アルセロール・ミタル(ルクセンブルク)に次ぐ世界第2位の座を奪還できる水準になる。

 新日鉄は、日本政府が日清戦争で得た賠償金を注ぎ込んで建設した官営八幡製鉄所が前身だ。紆余曲折を経て分割された富士、八幡両製鉄の再統合が1970年に認められて現在の新日鉄となった。その後約30年にわたって「粗鋼生産量で世界一」の座に君臨してきた。

 しかし、ここ数年は、昔日の輝きを失っていた。直接の原因は、2008年9月のリーマン・ショックだ。販売先であるトヨタ自動車などの猛烈な減産が響き、2009年の粗鋼生産量は2761万トンの世界第6位(シェア2.4%)と、往時を知る人たちには信じられない状況に落ち込んだ。

 住金も事情はそっくりだ。住友財閥の伝統を受け継ぎ、年間約1500万トンの潜在生産能力を持ちながら、2009年の実績は1081万トンと世界23位(同0.9%)に低迷していた。

 統合メリットは多岐にわたるとみられる。単純に統合すれば、新会社は北から室蘭、鹿島、君津、名古屋、和歌山、八幡、小倉、大分の8ヵ所に、鉄鋼を産み出す高炉を持ち、その鉄鋼の製品化もできる一貫体制の製鉄所を展開することになる。

 このうち新日鉄君津(千葉県)と住金鹿島(茨城県)は同じ関東地区にある。新日鉄八幡と住金小倉に至っては、両方が福岡県内のだ。これらの製鉄所で「選択と集中」を断行し、経営資源を戦略的に再配分できば、収益力は高まるはずだ。

 同じことは国際戦略でも言える。両社はそれぞれ、高い成長が見込まれているインドやブラジルといった新興国で現地企業と提携し、高炉のほか、様々な鉄鋼製品の製造工場を構築している最中だからだ。

 鉄鋼業の所管経験のある経済産業省幹部も「互いの強みと弱みを冷静に分析したうえで、何を整理し、何に重点投資するかがポイント」としたうえで、「きちんと選別できれば、製造拠点の統廃合やファイナンス、人材活用などで計り知れない統合効果を生む可能性がある」とみる。

国内の鉄鋼市場を襲った「ゴーン・ショック」

 統合のメリットを語るうえで、もっと大きなものもある。「規模の拡大」だ。鉄鋼会社の場合、仕入先(上流)と販売先(下流)にそれぞれ、猛烈な価格支配力を持つ企業が存在しており、収益構造上、その両者に挟まれる格好になっているからである。

 上流の鉄鉱石の輸出入市場では、ヴェール(ブラジル)、BHPビリトン、リオ・ティント(以上豪英系)の資源メジャー3社が強大な価格支配力を持つ。

 日本の鉄鋼メーカーは、鉄鉱石のすべてを輸入に頼らざるを得ない。規模の拡大により、資源メジャーの価格支配力に対抗できる購買力を確保することは、永遠の課題だ。

 一方、販売先として代表的な存在が自動車メーカーだ。一度は破たんし米政府に救済されたゼネラル・モーターズ(GM)とクライスラーを含めて、世界の自動車メーカーは8大グループに集約されている。

 これに対し、世界一の粗鋼生産量を誇るアルセロール・ミタルでさえ、世界シェアは、わずか6.0%(2009年)に過ぎない。自分たちとは比較にならない購買パワーを保持する自動車メーカー各社と対等に価格交渉をするためにも、鉄鋼会社は規模拡大を怠れない。
ちなみに新日鉄と住金が規模の必要性を痛感したのは1999年のことだ。日産自動車のカルロス・ゴーン社長が鋼材の調達に入札制を導入した時である。

 鉄鋼市場と言えば、それまでは財閥や企業グループごとの系列取引が主流。食うか、食われるかというような価格競争は珍しかった。「ゴーン・ショック」は、この状況を一変させた。激しい競争は、国内の鋼材価格を海外では考えられないほど低い水準に引き下げた。

 折から、世界の鉄鋼業界では、タイの通貨危機(1997年)を受けて、競争力の強化を狙ったM&A(企業の買収・合併)の嵐が吹き荒れていた。

 日本でいち早く対応したのは、NKKと川崎製鉄だ。両社は2002年9月に経営統合を決断し、JFEホールディングスの設立に踏み切った。

 新日鉄にとって、JFEの誕生は国内トップの座すら脅かす緊急事態だった。しかし、新日鉄は、世界の潮流となりつつあったM&A、特に敵対的なM&Aに背中を向けていた。内情を考えると、日本の製造業の象徴のような企業であるがゆえに、積極的になれない面があったかもしれない。

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