「丸2年で平均3人目」にほくそえむ霞が関。副大臣・政務官人事が示す民主党「政治主導」の掛け声倒れ
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 まずまずの支持率を集めて好スタートを切った野田佳彦内閣。国民の期待は、内閣を挙げてきちんと仕事をしてくれるかという点に尽きるだろう。党内力学を重んじたバランス型と言われた大臣人事はともかく、実務を担うことになる副大臣や大臣政務官の人事は、首相の言う「適材適所」になっているのか。

 民主党が政権交代を果たす際、公約の柱に掲げたのが「政治主導」「脱官僚依存」だった。後者の「脱官僚依存」については、今や大きく後退し、鳩山由紀夫・元首相が廃止した「事務次官会議」に似た事務方トップの定例会議が復活している。しかし、前者の「政治主導」については、その旗は降ろしていない。大臣、副大臣、政務官のいわゆる「政務三役」がリーダーシップを取って、政策を実現していくという建前が続いている。

 鳩山内閣では、この政務三役を強固なチームとして編成して役所に送り込むことにこだわった。副大臣と政務官の人事については所管の大臣に人事を任せ、大臣が自分の手足として使いやすい人物を据えることにしたのだ。野田佳彦・現首相が鳩山内閣で財務副大臣になったのは、藤井裕久・財務相の指名だったとされる。藤井氏は自他共に認める野田氏の後見役である。

 そうした「チーム政務三役」に対する霞が関官僚の警戒心は猛烈に強かった。野党時代にそれぞれの分野の専門だった議員を副大臣・政務官に据えたこともあり、官僚たちも彼らを無視しては仕事ができなくなったのである。

 自民党政権時代は「盲腸」と陰口をたたかれ、論功行賞のための名誉職と見られていた副大臣や政務官。民主党は政権交代した後は、霞が関に百人規模で議員を送り込むことを想定していたが、これらのポストはその橋頭堡になるはずだった。

論功行賞に副大臣、政務官ポストを使った菅

 ひと昔前、霞が関のキャリア官僚は専門性が乏しいと批判されていた。課長や審議官といったポストを一年で転々とするため、いくら優秀な人材とはいえ、知識習得が追いつかなかったわけだ。今では同じ課長ポストに2年以上留まる例も増え、専門性の高い官僚も増加した。

 そんな官僚たちと互角に政策議論をするからには、副大臣や政務官もコロコロ人が入れ替わるのでは対応できるはずがない。鳩山内閣では長期間同じ分野を同一の議員に担当させることを想定していたのは明らかだ。

「まさか一年で副大臣を降りることになるとは思わなかった」

 二〇一〇年九月、民主党代表選挙の結果を受けた菅直人第一次改造内閣では、大臣はもとより、副大臣・政務官も大幅に入れ替える人事を行った。野党時代から取り組んでいた自身の専門分野での改革に着手した途上だった副大臣(当時)のひとりは、こう言って唇をかんだ。

 菅氏は、小沢一郎氏と戦った代表選を有利に運ぶために、副大臣や政務官のポストを支援を約束した議員に事前に約束している、という噂が流れていた。組閣後の人事でそれが明らかになった。民主党政権の基本方針で、「チーム政務三役」の要である、所管大臣に副大臣・政務官を選ばせるという手続きもを反故にした。事実上、首相が決めたのだ。菅氏は自民党時代よろしく論功行賞用のポストとして使ってしまったのである。

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