長銀、日債銀が無罪判決にマーケットから異議を唱えるーー「日本がフェアな国」だと過信していたホリエモンの失敗
〔PHOTO〕gettyimages

 少々日にちが経っているが、先月30日、旧日債銀(現あおぞら銀行)の旧経営陣3人に対する刑事裁判の無罪が確定した。「不明な点あり」として、最高裁から東京高裁に差し戻されていた控訴審裁判で、無罪の判決が出たのだ。

 バブルの時代とバブル崩壊の時代を、金融業界で過ごした筆者としては、感慨深い判決だった。そして、筆者は、日本経済のその後のあれこれも見ているので、些か複雑な気分になった。率直に言うと、「(あの頃の)長銀や日債銀の経営者が無罪で、ホリエモンが有罪だ、というのは、一体どういうことなのだろうか?」というのが、筆者の気持ちだ。

 誤解されてはいけないので、お断りしておくが、筆者は、最高裁、あるいは最高裁を経て高裁で無罪を得た旧長銀や旧日債銀の当時の経営者達に対して、今なお「あなたたちは、有罪だ」と言いたいのではない。これらの事例から、「バブル」、「経営者」、そして主に日本の「社会の仕組み」について、あれこれ考えてみたいだけなのだ。

大銀行経営者が債権の実態を知らないわけがない

 旧長銀、旧日債銀の破綻当時の経営者達に対する一審の有罪判決に対して、判決が出た当時の筆者の正直な感想は、「当然有罪だろう」、加えて「今後に与える影響も望ましい」というものだった。

 筆者の理解では、日本の銀行は、中でも特に長銀や日債銀は、バブルの崩壊後不良債権を表面化させないために、意図的で複雑な操作をしていた。これらは、外部に対して、彼らの経営状態を誤って伝えるもので、投資家をはじめとする関係者を欺く行為だったし、こうした行為のおかげで、不良債権は一層膨らんだ。その処理に時間が掛かるようになったことも通じて、日本経済全体に小さからぬ悪影響を与えた。

 不良債権の表面化を「飛ばし」でごまかした山一證券に対する日銀特融の焦げ付きは最終的に2000億円程度である。何れも数兆円の公的資金による損失負担が発生した長銀・日債銀の方が、隠していた患部が大きく、いわば、死に顔が汚かった。

 財務の実態を隠す手段があることは、「バブル」が最後の段階で拡大する際の一押しに役立ったし、バブル崩壊の際には経済に与える傷を大きくした。また、不良債権隠しを目的としたデリバティブなど、良からぬ商売の温床にもなった。

 経営者個人がリスクを組織に押しつけて組織のリスクテイクを利用出来る状態を残すことは、アンフェアであり、且つ危険であることは、その後のサブプライム問題や、現在のヨーロッパが抱える問題を見てもよく分かる。「ごまかしの穴」は、企業に対してだけでなく、個人に対する実効性ある罰則によって塞がなければならない。

 こうした認識は、今でも、そう間違ってはいないと思う。

 また、長銀・日債銀の一審の有罪判決は、当時の大蔵省検査部の償却・引き当てに関する基準が「公正なる会計慣行」だとの前提に立ったものだった。「そうでなければ、(相当程度)ごまかし放題」だし、大銀行の経営者である人々が、債権の実態を知らないとは思えないので、組織を守るためという理由があるとしても、彼らには責任があると思った。

 しかし、繰り返しになるが、最高裁、高裁は、この資産査定通達が当時の償却・引き当ての唯一の公正な会計慣行だったという事実は認定しがたいと判断して、被告人達に無罪を言い渡したのだ。

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