平松邦夫×内田樹「『教育はビジネス』という勘違いがクレーマー親を生む」「教育は誰のためにあるのか」とことん語ろう 第1回

2011年02月02日(水)
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 だから、今大切だと思うのは、しっかりした地域社会をどう作り上げるのかということです。

 そう言うと、行政はまた「お金を出すからこれやって」という形につい走りがちなんですが、そうではありません。主体性や担い手を地域社会に還元しながら、手助けできるところを手助けする。「走り出した人の邪魔をしない」という行政と地域社会の関係が実現すればよいのになあ、と思います。

教育は自己利益ではなく、共同体を支えるためにある。

内田: 市長が今おっしゃった、教育の根本目的は何かということなんですけどね。僕や市長の立場と、一般の世論の間には大きなすれ違いがある。

 教育を受ける側の人が、教育を受けることによって自己利益を増大していく、高い知識や技術を身につけ、学歴を得て、結果的に社会的地位と収入、威信を獲得していく、そのためのプロセスとして教育はあると考える人がほとんどで、そこからクレーマーが生まれてくるわけです。

 そうじゃなくて、教育というのはもともと共同体の責務なんですよ。われわれが子どもたちを教育しなければいけない。成熟した市民を一定数、継続的に供給していくことは社会の存続のために不可避の義務なんです。とにかくちゃんとした、真っ当な市民を一定数作り出す。われわれ自身が生き抜いていくため、社会が生きていくために、きちんとした教育をしなきゃいけない、それが教育の最優先の目的なんです。

 一番大きなボタンの掛け違いは、教育を受ける者は自己利益のためにやっているんだっていう考え方をすることです。まるで商品を買うように、お金を出して「教育という商品」を買おうとする。そこで得られる学歴や資格や免状や技術で、自分自身を飾っていこうとする。そういうことだと多くの人は考えがちなんですけども、それは倒錯した考えだと僕は思うんです。

 市長が「地域」とおっしゃったように、自分たちの共同体を形成する年若いメンバーたちを育て、支援し、激励してちゃんとした市民に育て上げること。自分たちが老いて死んで去って行った後に、「この共同体を次は君たちが支えてね」と伝えること。この支え手を育成していくという集団的な営みに教育の目的はあるんですけどね。この根本のことを繰り返し思い出してほしい。

瀬尾: まさに今起きていることは、教育を受ける側がサービスを買っているということですね。教育という商品を買っている消費者の立場からクレームを言っているという、そんな事態ですよね。

内田: メディアの論調は一貫して「教育とはビジネスだ」ということですよね。学校は教育商品サービスを提供し、消費者である保護者や子どもたちがそれを買っていくんだ、と。適正な価格で質の高い教育商品を提供している学校が選択されて生き残り、そうでないところは滅びていく、と。

 市場の淘汰に委ねていれば、教育はどんどんよくなるという市場原理主義的な考え方で教育が語られてきたのがこの20年です。その結果がこうなったわけですからね。この発想そのものを変えなければダメなんです。

先生の権限や裁量が狭められ過ぎている。

平松: 私が最初に内田先生の本を読んだのが『下流志向』なんです。そこでは、現場のことをずいぶんお書きになっていて。えっ、今の学生ってそんなに「自分」や自己主張が強すぎて、自己利益の追求みたいなことばっかり言ってるのかと驚いたんですね。自分の学生時代はそうでなかったのかどうかというのはもう忘れてますけど…。

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