平松邦夫×内田樹「『教育はビジネス』という勘違いがクレーマー親を生む」

「教育は誰のためにあるのか」とことん語ろう 第1回
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 学校というのは批判すればするほど、システムとして良質なものに改善されていくと信じて、とにかく容赦なく学校を批判すれば、いずれシステムは改善される、と。そういうあり得ないことを刷り込んでいったのはメディアの責任です。教育の荒廃には報道の責任が非常に大きいと僕は思いますね。

学校はカルチャーショックを受けるための場所だ

平松: 大阪市長特別顧問になっていただいた最初の記者会見で、内田先生は「メディアと行政が教育に口出しすべきではない」と並み居る記者の前でおっしゃった。その時、私は心の中で拍手をしてたんですよ。

 やっぱり行政、特に自治体が担当する教育というのは、初等教育、幼稚園も含めて、社会の一員となるための素地をしっかりと育てなければならない。幼稚園に入る前からそれを身に付けている子もいるし、そうじゃない子もいる。いろいろなカルチャーショックがある中で、どうしたら世の中を乗り切っていけるかという知恵を授ける場所だと思うんです。

 なのに今は、学力テストの点数だけで、それも算数と国語、2つの科目だけで判断するという形になり、「点数至上主義の再来か」みたいに言われている。(教育行政を担当する)われわれとしても当然国の方針にのっとってテストを受けようと言うわけですけれど、受けた結果をね、じゃあわれわれなりに利用する、その方向を探そうよっていうのを教育委員会で言ってきました。

 ナカノシマ大学でわいわい4人で話し合ったことが本になった『おせっかい教育論』(内田樹、鷲田清一、釈徹宗各氏との共著)の中でもそんな話をしましたが、街や社会を構成している一員として、赤の他人であったとしても、新たに入って来る未来の資産となるべき子どもたちをどうしつけるか。

 内田先生にしても鷲田先生にしても、釈さんにしても、押さえつけてまで、しっかり教える部分を大切にしておられるのに、今のお話を聞いていると、内田先生のいらっしゃるあの素晴らしい女子大学ですら、教務部長を務めてみると、そういう(クレーマー親がいる)現状がある、と。

 どこかで日本人の価値観、人間の価値観みたいなものが倒錯しちゃった部分があるような気がします。それがメディアの責任だと言われると、私も20年前といえばメディアにいたので、そうなんかなあと思う部分、それから、行政の責任者になって新たに感じる部分もあります。

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