メディア・マスコミ
「脱記者クラブ」を宣言し、巨大広告主を激怒させて「一流紙の名声」を得たWSJ
アメリカにもあった記者クラブ
(左)雑誌記者が書いたウォールストリート・ジャーナル史『ウォールストリート・ジャーナル』
(右)元編集局次長が書いたウォールストリート・ジャーナル史『レストレス・ジーニャス』

 記者クラブは必要なのか。業界団体である日本新聞協会の見解はこうだ。

「記者クラブは、言論・報道の自由を求め日本の報道界が1世紀以上かけて培ってきた組織・制度なのです。国民の『知る権利』と密接にかかわる記者クラブの目的は、現代においても変わりはありません」

 国民の「知る権利」を守るために有効ならば、なぜ日本以外の主要国に記者クラブはないのだろうか。

 実は、半世紀ほど前のアメリカにも記者クラブはあった。自動車産業の一大集結地デトロイトの自動車記者クラブ、通称「オフレコクラブ(Off-the-Record Club)」だ。業界団体の建物の中に物理的に存在していたわけではないものの、日本の記者クラブと比べても実態は同じだった。

 20世紀は「アメリカの世紀」であり、「自動車の世紀」でもあった。第2次大戦直後の半世紀前はアメリカ自動車産業の絶頂期であり、ゼネラル・モーターズ(GM)は世界最大・最強企業として君臨していた。大手新聞・通信社にとっても、デトロイトはワシントンやニューヨークと並ぶ花形支局だった。

  オフレコクラブはとっくの昔に解体されている。国民の「知る権利」を守るどころか、逆に損ねていると見なされたからだ。

 デトロイト報道界の記者クラブ的談合体質に反旗を翻したのは、経済紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)だ。1950年代前半、地元報道界の決まり事を無視して独自の報道を展開したことで、同紙は実質的な「出入り禁止」処分にされ、大口自動車広告もキャンセルされた。しかし、同紙が一流の経済紙へ躍進するきっかけにもなったのである。

 オフレコクラブをめぐる騒動については、エドワード・シャーフ著『ウォールストリート・ジャーナル』(ここでは原書『ワールドリー・パワー』を利用)のほか、リチャード・トーフェル著『レストレス・ジーニャス(不屈の天才)---バーニー・キルゴア、ウォールストリート・ジャーナル、近代ジャーナリズムの発明』に書かれている。

 シャーフは「タイム」などの雑誌記者出身だが、トーフェルはWSJの編集局次長を経験しており、内部からWSJの歴史を知る立場にある。現在は有力ネットメディア「プロパブリカ」の幹部だ。2人とも、「WSJ中興の祖」バーニー・キルゴアに焦点を当てながらWSJが一流紙へ脱皮する経緯を描いている。

 以下、シャーフ本とトーフェル本を基にしてWSJ小史を紹介したい。日本の記者クラブ問題を語るうえで貴重な判断材料を提供してくれるからだ。

 オフレコクラブは、大手メディアのデトロイト支局記者と自動車メーカーの経営幹部が定期的に意見交換する懇談会のことだ。

 幹事は大手通信社APの古参記者。名称が示している通り、ここでは「オフレコ(記録なし)」が基本であり、メーカーの幹部から聞いた話は実際に発表になるまで記事にできない。メーカー側はオフレコを多用して、記事にされたくないと考えるニュースをすべて圧殺し、記者に「よいしょ記事」ばかり書かせていた。

 現在の基準から考えると、デトロイト報道界と自動車業界は信じられないほど癒着していた。記者1人に対して少なくとも1人の割合で広報担当者があてがわれ、至れり尽くせりだった。

 記者はデトロイトの華麗な社交界へ迎え入れられ、ビッグスリーの幹部と同等という気分にさせられた。遠慮なく頼めば何でも手に入り、クリスマス時にはゴルフクラブや車をプレゼントされることもざらだった。

記者への見返りに車まで提供

 そんななか、WSJのデトロイト支局長が交代した。新支局長は20代半ばで新婚早々のジョン・ウィリアムズ。本社から「オフレコ取材を受け付けるな」という特命を受けていた。言い換えると、オフレコクラブを脱会する役割を担わされていたのだ。

 なぜオフレコクラブを脱退するのか。1940年代以降、WSJは「ウォール街のゴシップ紙」から「一流の全国紙」への脱皮を目指して大胆な紙面改革を進めていた。改革の推進役がWSJ編集局長、親会社社長、親会社会長を歴任したキルゴアだ。「よいしょ記事」しか送ってこないデトロイト支局の体制はキルゴア改革にそぐわなかった。

 AP支局の古参記者はオフレコクラブの幹事としてウィリアムズに接触し、クラブに入会するよう誘った。しかし丁重に断られた。それでも「デトロイト報道界には重要な決まり事があるのを忘れないように。メーカーが発表する前に新モデルについて書かないということ」と念を押した。

 メーカー側の事情を考えれば当然だった。発表前に新モデルが公にされると、旧モデルが売れなくなってしまう。大幅なモデルチェンジが予定されている場合はなおさらだ。メーカー側としては、旧モデルの在庫を一掃するのを待って新モデルを発表したい。そのためにはモデルチェンジの内容はもちろん、発表タイミングも秘密にする必要がある。

 どうすれば秘密を守れるのか。オフレコクラブに頼るのである。新モデル発表がずっと先の話であっても、できるだけ早い段階で所属記者を招いて詳しくブリーフィングする。オフレコで話をすることで記者に「しばり」をかけるのだ。記者には秘密を守ってもらう見返りに、ゴルフクラブや車などの「現物」で報いるというわけだ。

 WSJの親会社ダウ・ジョーンズの社長キルゴアは、後に週刊誌「タイム」の取材に応じ、こう語っている。

「デトロイト報道界では何年にもわたって、ほとんどすべての情報がオフレコ扱いだった。そんなのはジャーナリズムとは言えない。だから、こんな慣習は無視しようと決めた」

 ここでの「ジャーナリズムとは言えない」とは、「国民の『知る権利』には応えられない」とほぼ同義と見なせるだろう。ちなみに、日本の記者クラブで行われる「オフレコ懇談会」の問題点については、以前の記事(ウォーターゲート事件のディープスロートさえ「オフレコ取材」ではなかった)の中で取り上げた。

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