あえて「失言辞任」に異論を唱える。なぜ新聞、テレビは自分たちが知っているはずの「鉢呂発言」の事実を報じないのか本来、失言よりも問うべきは政策だ

2011年09月12日(月) 高橋 洋一
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 私がもっと問題だと思っているのが、2番目の失言「放射能をつけたぞ」である。この発言をした事実が正しいなら、あまりに子供じみているし、経産相の資質を疑ってしまう。

場所は衆院議員赤坂宿舎で、8日夜の帰宅時に記者10名程度に取材された時の様子だという。9日午前の記者会見で「死の町」発言があって、この「放射能」発言もぶり返したこともあるようだ。

しかも、鉢呂氏自身は、「しぐさはあったかもしれない」が、「そういう発言はしていない」と否定的だ。

ネットの上で、検索すると、9日深夜から10日にかけて各紙で報道されているのがわかる。各紙のいいぶりと掲載時間は以下の通りだ。朝刊最終版に向けて、各社必死だったのだろう。

「放射能をうつしてやる」(産経新聞 9月9日 23時51分)
「放射能をうつしてやる」(共同通信 9月10日 00時07分)
「放射能をつけちゃうぞ」(朝日新聞 9月10日 01時30分)
「放射能をつけたぞ」(毎日新聞 9月10日 02時59分)
「ほら、放射能」(読売新聞 9月10日 03時03分)
「放射能をつけてやろうか」(日経新聞 9月10日 13時34分)
「放射能を分けてやるよ」(FNN 9月10日 15時05分)

面白いことに各紙でいいぶりが異なっている。
 

 記者であれば、大臣の談話はオフレコであろうと、メモだけでなくボイスレコーダーで記録しているだろう。それにも関わらず、各紙でいいぶりが違っているのは不可解だ。話をおもしろ可笑しく膨らませた可能性はないだろうか。こんなあやふやの話で閣僚が辞任する必要があるのか。

なお、8日夜のものは「オフレコの非公式懇談」なので、その発言を問題視するのはおかしいという政治家もいる。しかし、10名も記者がいてオフレコはありえない。私も官邸にいるときには、こうした場面に何回も出くわしたが、政治家にはオフレコと思わないでと念をおした。本当のオフレコは二人だけの取材のときだ。記者が複数いたら、政治家の心つもりとしてオフレコと思うほうがおかしい。

記者も大臣が辞任するほど重要な発言ならオフレコでも書いてもいい。しかし、それなら正確に書かなければいけない。「放射能」記事では各紙ともに「~の趣旨」でという曖昧な表現が多い。10名前後も記者がいるのに、誰もボイスレコーダーをもっていないはずない。今ではスマートフォンにも標準装備されているくらいなのだから。誰かが正確な話の記録を出してもいいくらいだ。

こういう空気みたいなことで、オフレコ発言で閣僚が辞めさせられるなら、今後トラップをしかける輩もでかねない。どうせなら政策論議で閣僚をとっちめてもらいたいものだ。穿った見方かも知れないが、政策議論ができない記者ほど、こうした失言をあげつらうことを好む傾向がある。

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