牧野洋の「ジャーナリズムは死んだか」
2011年01月13日(木) 牧野 洋

「コメントは編集」が当たり前の日本とは大違い  アメリカで活躍する専門家集団「ファクトチェッカー」

取材ノートやテープも取り寄せ事実をチェック

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ニコニコ生放送に出演中の岡田幹事長

 前回(ウォーターゲート事件のディープスロートさえ「オフレコ」取材ではなかった)書いたように、日本では意味があいまいな「オフレコ」取材が日常的に行われている。結果として、新聞紙面は匿名や仮名であふれている。

 なぜなのか。新聞社は都合のいいように発言をつまみ食いするだけでなく、発言内容にも勝手に手を加えるから、怖くて実名で語れない---こんなマスコミ不信があるのではないのか。

 日米のジャーナリズムの現場を点検すると、オフレコ取材の定義と並んでコメントの引用手法に大きな違いがあることが分かる。アメリカと違い、日本では「コメントを正確に引用する」という報道慣行が根付いていないのだ。

 それを裏付けるような"事件"が相次いでいる。1月5日には、インターネット動画サイトの「ニコニコ動画」に民主党幹事長の岡田克也が生出演し、元民主党代表の小沢一郎の「政治とカネ」問題などについて語った。昨年11月3日には小沢が同サイトに登場している。

 出演理由について、番組中で岡田は「ニコ動は編集しないで全部流すのがいい」と語り、小沢は「新聞、テレビが正確に真実を報道していただけないので整理したい」と語っている。

 岡田がニコニコ動画に出演した5日には、広島市長の秋葉忠利が記者クラブでの退任会見を拒み、動画投稿サイト「ユーチューブ」へ動画を投稿したことが明らかになった。前日には地元テレビ局の生放送に出演している。生出演ならば編集される恐れはない。

 日本では、記者会見やインタビューなどでの発言が大幅に編集されて新聞紙面上に載ることが多い。ここでの「編集」とは、紙面上の制約から発言の一部だけ抜き出されるという意味に限らず、発言自体に手が加えられるという意味も含む。

 カギかっこ内での直接引用であっても、「話し言葉」が「書き言葉」になったり、「ですます調」が「である調」になったり、書き手の都合によって自由自在に変化する。「ですね」が「である」に変わるだけなら本質的な問題はないが、編集の行き過ぎで発言のニュアンスが大きく変わる場合もある。

 

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