永田町ディープスロート

「見出しが立たない」市長が語るメディアの劣化とtwitterの発信力

連載 インタビュールポ 平松邦夫と「もうひとつの大阪」 第三回

2011年01月07日(金) 松本創
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第二回『「わかりやすさは危険なんです」 アナウンサー出身市長が明かす「言葉へのこだわり」』 はこちらをご覧ください。

取材・文 松本創

 ローカルワイドニュースのキャスターを長年務めた知名度と信頼感を買われて大阪市長となった平松邦夫。時に過激な発言も辞さぬ歯切れの良いコメントで注目を集め、タレント弁護士から大阪府知事に転身した橋下徹。

 ほぼ同時期に大阪の首長職を担うことになった2人は、対立が深刻化する以前、「ともにテレビの世界から役所に入った者同士、共通の感覚や人脈を持っている」と言われることもあった。だが、どういう立場で画面の中にいたか、そこでどんな言葉を口にしていたかは、対極と言っていいほど異なる。

 橋下が「大阪都構想」をぶち上げた時、最初に平松が公式に発したコメントは「早くコメンテーターを卒業して」。これにカチンときたのか、橋下は後に「早くアナウンサーを卒業して」とお返ししている。

 2人の立ち位置の違い、そこに「溝」の原因があることを本人たちも認識していることを端的に示すやり取りだった。36年あまりテレビ局に身を置き、今は「権力」として取材される立場になった平松のマスメディア観とは、どのようなものなのだろうか。

 僕がキャスターをしていた『MBSナウ』の放送開始は1976年(昭和51)1月。当時は、磯村(尚徳)さんの『ニュースセンター9時』(NHK、1974年~)をきっかけに、日本のニュース番組が大きく変わっていった時代でした。それまでは超然と構えていたキャスターが、視聴者にグッとにじり寄り、同意を求めるように語りかけるスタイルですね。

 その後、久米(宏)さんの『ニュースステーション』(テレビ朝日、1985年~)もあって、たしかにニュースは身近になった。そのこと自体は良かったと思います。ただ、その果てに現在ではワイドショー的というか、バラエティーか報道か分からない番組がずいぶん増えました。

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