「見出しが立たない」市長が語るメディアの劣化とtwitterの発信力
連載 インタビュールポ 平松邦夫と「もうひとつの大阪」 第三回

第二回『「わかりやすさは危険なんです」 アナウンサー出身市長が明かす「言葉へのこだわり」』 はこちらをご覧ください。

取材・文 松本創

 ローカルワイドニュースのキャスターを長年務めた知名度と信頼感を買われて大阪市長となった平松邦夫。時に過激な発言も辞さぬ歯切れの良いコメントで注目を集め、タレント弁護士から大阪府知事に転身した橋下徹。

 ほぼ同時期に大阪の首長職を担うことになった2人は、対立が深刻化する以前、「ともにテレビの世界から役所に入った者同士、共通の感覚や人脈を持っている」と言われることもあった。だが、どういう立場で画面の中にいたか、そこでどんな言葉を口にしていたかは、対極と言っていいほど異なる。

 橋下が「大阪都構想」をぶち上げた時、最初に平松が公式に発したコメントは「早くコメンテーターを卒業して」。これにカチンときたのか、橋下は後に「早くアナウンサーを卒業して」とお返ししている。

 2人の立ち位置の違い、そこに「溝」の原因があることを本人たちも認識していることを端的に示すやり取りだった。36年あまりテレビ局に身を置き、今は「権力」として取材される立場になった平松のマスメディア観とは、どのようなものなのだろうか。

 僕がキャスターをしていた『MBSナウ』の放送開始は1976年(昭和51)1月。当時は、磯村(尚徳)さんの『ニュースセンター9時』(NHK、1974年~)をきっかけに、日本のニュース番組が大きく変わっていった時代でした。それまでは超然と構えていたキャスターが、視聴者にグッとにじり寄り、同意を求めるように語りかけるスタイルですね。

 その後、久米(宏)さんの『ニュースステーション』(テレビ朝日、1985年~)もあって、たしかにニュースは身近になった。そのこと自体は良かったと思います。ただ、その果てに現在ではワイドショー的というか、バラエティーか報道か分からない番組がずいぶん増えました。

〔PHOTO〕gettyimages

 出演者は専門知識がなくても好き勝手にコメントする。中身はともあれ、より耳目を引く発言をする人がまたテレビに取り上げられ、さらに過激なことを言う・・・。そんなことを繰り返してきた結果、政治でも事件でも国際関係でも極めて単純に、旗幟を鮮明にして、ひと言で語るのがいいという風潮ができ上がったように思います。

検証も分析も忘れたメディア

 メディアの変質、というより、はっきり言えば「劣化」は、後発の新しいメディアが出てきた時から始まるんでしょうね。新聞ならテレビに、テレビならインターネットに負けじと、速報性やある種の「分かりやすさ」を競う。今はネット中継なんかもありますから、記者が考えたり立ち止まったりする余裕もなく、発言や出来事を垂れ流すようになっていく。

 情報のタイムラグが短くなればなるほど、マスメディアの伝える内容は劣化する。すべてとは言いませんが、そんな面が大きい気がします。

 橋下知事に関する報道はその典型です。各社が毎朝ぶら下がり取材でコメントを求めるでしょう。サービス精神旺盛な方ですから、必ず見出しになることをしゃべってくれる。記者は「あ、これは見出しになる!」とそのまま記事を書き、放送する。

 そのうちネタに困ると、「橋下さんやったら何かしゃべってくれるわ」と、大阪にも政治にも全然関係ない話を聞いてみたりね。そうするうちに読者・視聴者は、いつも見出しになる発言をする人が、あたかも力を持っているように錯覚してしまう。

 学力テスト問題の時の「クソ教育委員会」発言にしても、関西国際空港をめぐる見解にしても、「都構想」や大阪市攻撃にしても、彼の発言はその場限りのことも多いですから、時系列で追っていくと、かなりブレや矛盾がある。

 なのに、その内容をどう受け取めるべきか、過去の発言に照らして変化はないか、そもそもほんとうに大阪のためになっているのか・・・という分析や検証がほとんどないんです。それこそがメディアの役割だと思うんですが。

 こうして橋下中心に動いていくマスメディア状況について、「割りを食っていると思いますか」と尋ねてみた。平松の答えは「そりゃあ割りを食ってるんでしょうね。でも、だからと言って、同じやり方で対抗してもしょうがないし、そんなキャラでもない。僕はしっかりと自分のやり方を貫く以外に方法を持っていない」。

 自分のやり方・・・たとえば記者会見でのマスメディア対応に関して、平松は『おせっかい教育論』でこんなふうに語っている。

<・・・記者会見などに出ても、言ってから周りの反応を見ているという感じです。「俺は何も意見は言わんよ、ただあったことを言うよ」と。

 あったことの評価を自分の顔で表現できればいいし、分かる人に分かってくれたらいい、というのがどっかにある。

 「いや、市長というのは政治家やから、もっとギラギラして、ガンガン自分の主張もせなあかんかな」と考えたりすることもあるんですけど、どうしても飄々としすぎてるように見えるんでしょうね、親しい記者から「もっと主観的に話して下さい、市長」とか言われたりしますよ(笑)。>

 取材される側に立ってみると、見出しや記事の書き方に、僕の言いたかったことは違うのになあ・・・と感じることが多々あります。ストーリーが既にできていて、コメント部分だけを埋める、あからさまな「はめ込み取材」も少なくない。

 でも、僕がそこにはまることを言う必要はないと思ってますし、しゃべりながら、これは見出し取りにくいやろなあ・・・と内心苦笑することもあります(笑)。

 僕、キャッチーなことをほとんど言いませんからね。それは性格もあるけれども、パッと見のイメージや見出しだけじゃなく、できるだけ内容の細部まできちんと理解して、ほんとうのことを伝えてほしいという思いからです。「すべて大阪市が悪い」「大阪市を叩いておけば記事になる」という姿勢ではなくね。

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