牧野洋の「ジャーナリズムは死んだか」
2011年01月06日(木) 牧野 洋

ウォーターゲート事件のディープスロートさえ「オフレコ」取材ではなかった米国新聞の「ルール」

権力者に利用される日本の安易なオフレコ取材

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ワシントン・ポスト紙記者ボブ・ウッドワード氏 〔PHOTO〕gettyimages

 新聞社に入社してまず学ばされる事の1つは「オンレコ」と「オフレコ」の使い分けだ。前者は「オン・ザ・レコード(記録あり)」の略で、後者は「オフ・ザ・レコード(記録なし)」の略である。

 大まかに言えば、オンレコで取材した場合、記者は取材内容について制限なしに何でも書ける。一方、オフレコ取材は正反対であり、情報源の秘匿と結び付いている。前回まで3回にわたって書いてきた匿名報道以上に厳しい制限が課せられる。

 日米ジャーナリズムの現場を比較すると、報道姿勢や取材手法でさまざまな違いが浮き彫りになる。中でも違いが際立っているのがオフレコ取材だ。言葉は同じでも、日本ではオフレコの意味合いが大ざっぱであるのに対し、アメリカでは取材内容を一切報道できない「完全オフレコ」を意味する。

 新聞記者として東京で働いていた時、取材先に対して「オフレコで話を聞かせてください」と依頼することはちょくちょくあった。日本では基本的にオンレコかオフレコしかなく、取材先から「名前を引用しないでください」と言われればほぼ自動的にオフレコ取材になった。

 しかし、ニューヨーク駐在時代にアメリカ人相手にオフレコ取材を依頼することはなかった。全く違う対応をされるのが目に見えていたからだ。そもそもアメリカではオフレコ取材はまれだ。巨大権力の暗部を暴くような調査報道を展開していても、である。

 「ディープスロート」をご存じだろうか。歴史的なウォーターゲート事件を特報したワシントン・ポスト紙記者ボブ・ウッドワードの情報源だ。1970年代前半、ウッドワードはディープスロートの協力を得ながら事件の全貌を明らかにし、ニクソン政権を崩壊に追い込んだ。これによって調査報道の金字塔を打ち立てたのである。

 ウッドワードが頼りにしたディープスロートは内部告発者の立場にあり、正体が明らかにされれば権力側から報復されるのは必至だった。だとすれば、ウッドワードはオフレコを条件にディープスロートに接していたのだろうか?

 答えはノーである。ウォーターゲート事件でさえもオフレコ取材ではなかったのだ。

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