メディア・マスコミ
ウォーターゲート事件のディープスロートさえ「オフレコ」取材ではなかった米国新聞の「ルール」
権力者に利用される日本の安易なオフレコ取材
ワシントン・ポスト紙記者ボブ・ウッドワード氏 〔PHOTO〕gettyimages

 新聞社に入社してまず学ばされる事の1つは「オンレコ」と「オフレコ」の使い分けだ。前者は「オン・ザ・レコード(記録あり)」の略で、後者は「オフ・ザ・レコード(記録なし)」の略である。

 大まかに言えば、オンレコで取材した場合、記者は取材内容について制限なしに何でも書ける。一方、オフレコ取材は正反対であり、情報源の秘匿と結び付いている。前回まで3回にわたって書いてきた匿名報道以上に厳しい制限が課せられる。

 日米ジャーナリズムの現場を比較すると、報道姿勢や取材手法でさまざまな違いが浮き彫りになる。中でも違いが際立っているのがオフレコ取材だ。言葉は同じでも、日本ではオフレコの意味合いが大ざっぱであるのに対し、アメリカでは取材内容を一切報道できない「完全オフレコ」を意味する。

 新聞記者として東京で働いていた時、取材先に対して「オフレコで話を聞かせてください」と依頼することはちょくちょくあった。日本では基本的にオンレコかオフレコしかなく、取材先から「名前を引用しないでください」と言われればほぼ自動的にオフレコ取材になった。

 しかし、ニューヨーク駐在時代にアメリカ人相手にオフレコ取材を依頼することはなかった。全く違う対応をされるのが目に見えていたからだ。そもそもアメリカではオフレコ取材はまれだ。巨大権力の暗部を暴くような調査報道を展開していても、である。

 「ディープスロート」をご存じだろうか。歴史的なウォーターゲート事件を特報したワシントン・ポスト紙記者ボブ・ウッドワードの情報源だ。1970年代前半、ウッドワードはディープスロートの協力を得ながら事件の全貌を明らかにし、ニクソン政権を崩壊に追い込んだ。これによって調査報道の金字塔を打ち立てたのである。

 ウッドワードが頼りにしたディープスロートは内部告発者の立場にあり、正体が明らかにされれば権力側から報復されるのは必至だった。だとすれば、ウッドワードはオフレコを条件にディープスロートに接していたのだろうか?

 答えはノーである。ウォーターゲート事件でさえもオフレコ取材ではなかったのだ。

 ディープスロートの名付け親は、ウォーターゲート事件当時のワシントン・ポスト編集局次長、ハワード・シモンズ。彼は人気ポルノ映画のタイトルを借用した。新聞界の業界用語「ディープバックグラウンド」にひっかけたからだ。

 ディープバックグラウンドとは、記者が取材先と交わす取り決めの1形態だ。日本では基本的にオンレコとオフレコの2形態あるのに対し、アメリカでは4形態ある。
(1)オンレコ
(2)バックグラウンド(背景説明)
(3)ディープバックグラウンド(深層背景説明)
(4)オフレコ---である。

 個人的には、コロンビア大学ジャーナリズムスクール在学中に4形態について初めて教えられた。「これほど厳格に体系化されているのか」とびっくりしたのを今でも覚えている。同スクールで使われる教科書『ニューズ・リポーティング&ライティング』を参考にしてみると、次のようになる。

 第1にオンレコ。記者会見は通常すべてオンレコだ。記者は発言者の名前も発言の内容も自由に書ける。この面では日米の報道機関に差異はない。

 第2にバックグラウンド。発言内容は自由に使って構わないが、発言者の名前は引用できない匿名報道のことだ。発言者の特定につながりかねない肩書も明示できない。「ノット・フォー・アトリビューション(引用不可)」とも呼ばれる。

 匿名報道では記者が権力側に操られる恐れもある。「こんなネタがあるよ」などと言われると、記者は特ダネ欲しさに権力側に都合のいい「よいしょ記事」を書いてしまいかねない。それを防ぐために、記者は編集責任者に情報源を明かすように求められる。第三者がチェックするわけだ。

 前回の記事(ニューヨーク・タイムズ記事との違いに学ぶ)で言及した記者ジュディス・ミラーは、イラク戦争をめぐる報道で権力側に操られた代表格だ。バックグラウンド取材による匿名報道に頼り過ぎたのが災いした。ミラーが情報源を過信し、雇用主のニューヨーク・タイムズがミラーを過信した結果でもある。第三者のチェックも万能ではない。

 第3にディープバックグラウンド。ウォーターゲート事件のディープスロートは、ディープバックグラウンドを条件にワシントン・ポストのウッドワードの取材に応じていた。

 ここでは発言者の名前を引用できないのはもちろん、発言内容も直接引用できない。つまり、カギかっこを使ってのコメント引用も不可ということだ。「フォー・バックグラウンド・オンリー(背景説明のみ)」とも呼ばれる。

 バックグラウンド取材であれば「官邸筋は『菅直人首相は増税に前向き』と語った」と書ける。しかし、ディープバックグラウンド取材では「菅直人首相は増税に前向きなようだ」などとなる。直接引用ではなく、記者が地の文で書くわけだ。

 第4にオフレコ。聞いた話は一切書いてはならない完全オフレコである。得た情報は記者個人の知識として使えるだけだ。

 例えば、オフレコを条件に捜査関係者に取材し「あす、A社社長が逮捕される」という情報を得たとしよう。すると、実際にA社社長が逮捕されるまで記者は何も書けなくなる。第三者から同じ情報を得たとしても、である。日本では「第三者に確認できれば書いてもいい」と解釈する記者が多い。

 ほかにもオフレコ取材のマイナス点がある。国民にとって重大な意味がある情報を得た場合、記者が倫理上の問題を抱え込む可能性がある。「首相が辞任する」という情報を知ったら、どう対応したらいいのか。国民の知る権利に応えなければならないと同時に、情報源との間で交わした約束も守らなければならない。

ウッドワード氏とバーンスタイン氏 〔PHOTO〕gettyimages

 以上が4形態の定義である。この中で使用頻度が最も低いのが第4のオフレコだ。繰り返しになるが、記者が倫理上の問題に直面するリスクがあるからにほかならない。そのため、アメリカではオフレコ取材は原則として認められていない。ウォーターゲート事件を追いかけていたウッドワードさえも、オフレコ取材とは一線を画していたのだ。

 だからといって情報源の秘匿に無関心だったわけではない。むしろ逆である。情報源の秘匿には細心の注意を払っていた。情報源のディープスロートは内部告発者の立場にあったのだから、当然の行為である。

 事実、ディープスロートは33年間にわたって特定されなかった。2005年になり連邦捜査局(FBI)の元副長官マーク・フェルドが「私がディープスロートだった」と名乗りを上げるまで、ウッドワードの情報源は秘匿されたのだ。

花瓶の位置をずらすのが「サイン」

 ウッドワードが同僚のカール・バーンスタインと共に書いた『大統領の陰謀』によれば、ディープスロートとの情報のやり取りは次のように行われた。

 事件が大ニュースになるにつれて身の危険を感じたディープスロートは、電話での取材にも応じなくなった。ウッドワードがディープスロートに接したいときは、アパートのバルコニーに置いてある花瓶の位置をずらした。これを合図にして、午前2時に2人は地下駐車場で落ち合うのだった。

 ディープスロートがウッドワードに接したいときは、ウッドワード宅に配達されるニューヨーク・タイムズを使った。20ページ目のページ番号に丸印を付けるとともに、同じページの片隅に会合時間を示す時計の針を書き込んだ。地下駐車場では、2人は誰にも見られずに1時間以上も話すことができた。

 あいまいな取り決めしかなかったら、ディープスロートはウッドワードの取材に応じなかっただろう。どのように落ち合うかに加えて、語った内容がどのように使われるのか明確に決められていたからこそ、安心してウッドワードに協力できたのだ。

ウォーターゲート事件についてウッドワードとバーンスタインが書いた『大統領の陰謀』。ディープスロートが登場する同書はロバート・レッドフォード主演の映画にもなった

 日本では、完全オフレコとは違う「オフレコ」と称する取材が日常的に行われている。代表例は、記者クラブで開催される「オフレコ懇談会」だ。通常は、クラブの所属記者全員が参加するため、数十人規模の会合になる。懇談相手は大臣クラスの大物だ。

 厳密な定義に従えば、情報源の秘匿についてオフレコにはディープバックグラウンド以上に厳しい条件が課せられる。だとすれば、「オフレコ」のオフレコ懇談会には「ディープバックグラウンド」のウォーターゲート事件以上の緊張感が走っているのだろうか?

 言うまでもなく答えはノーである。オフレコ懇談会の雰囲気は緊張感とは正反対であり、「くつろぎ」「リラックス」といった表現がぴったりする。無理もない。ひと昔前まで、記者がビールとつまみを口にしながら取材先と懇談するのが一般化していたのである。公式な記者会見と違って匿名であるため、アルコールも手伝ってざっくばらんな話を聞けた。

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