大研究シリーズ
なぜ僕たちはプロ野球で通用しなかったのか
才能か、努力か、それとも・・・・・・

 高校時代の名声と、未来への希望を胸に飛び込んだ、憧れの舞台。しかしそこで彼らを待ち受けていたのは、あまりに過酷で厳しい現実だった。元プロ野球選手11人が語る、一軍と二軍を隔てるもの。

契約金ドロボーと言われて

「プロに入ると決まったときは、高校時代にやってきたことを続けていけば必ず活躍できると思っていたんです。しかし高校時代なら多少甘くても打ち損じてくれた球を、プロは逃さずヒットにするし、ボール球は簡単に見極められる。

 コントロールのない僕は、エースだった上原(浩治)さんの投球練習での球が寸分たがわずキャッチャーミットに吸い込まれるのを見て仰天しました。すべてにおいて僕の知っている野球とは違いすぎたんです」

 北照高校から'05年、高校生ドラフト3巡目で巨人入りした加登脇卓真(24歳・現香川オリーブガイナーズ)は、入団当時をこのように回顧する。自信と期待を胸にプロ入りした加登脇が目にしたのは、歴然と存在するレベルの違いだった。そのわずか3年後、彼は戦力外通告を言い渡された。

 彼の同期には、今や主力として一軍で闘う脇谷亮太や越智大祐、そして育成枠には山口鉄也がいる。同じ日にプロになったはずだ。

 しかし現在、それぞれの立つ場所は、大きく異なっている。期待通りにスターへと成長する者、そして無残にも去っていく者。両者を隔てたものは一体なんなのだろうか。

 人気球団・阪神のドラフト1位として'92年に指名された安達智次郎(37歳・神戸村野工業高出身)は、自らの経験から、ひとつの答えを導き出した。

「最初のコーチとの出会いがすべてを狂わせた」

 7年間で一度も一軍のマウンドに上がれなかった現役時代を、彼はこのように述懐する。

 この年、ドラフトの話題は松井秀喜(星稜高)一色。安達はその松井の「外れ1位」として、阪神に指名された。それでも最速150kmに迫る直球を誇った安達少年は、未来のエースとしての期待を一身に集めていた。しかしプロ入り後すぐに、安達は球速という最大にして唯一の武器を失ってしまう。

「入団してすぐ付いたコーチがコントールを重視する人で、『投手は速い球放ったらええやん』という僕とはまったく考え方が違った。言われるまま投げるうちにフォームは小さくなり、スピードも出なくなった。自分のピッチングが小さくまとめられるようで、嫌で嫌で仕方なかった」

 さらに安達は、指導者たちの意見の相違によって一軍への昇格のチャンスも潰されていたという噂を耳にしたという。

「1年目の夏に一軍に上がる計画があったそうなんです。なのに、そのコーチが上げたがらなかった。彼のなかで納得できるまで手元から離したくなかったからだそうです。その時ばかりは阪神に入ったことを後悔しましたよ」