早稲田大学野球部監督 應武篤良「私のピッチャー論」
3人のドラフト1位投手を送り出した伯楽が、
6年間の監督生活を振り返った
名門校の監督という重責から解放され、心情を吐露する應武氏。メディアのインタビューに応じるのは稀だ
〔PHOTO〕鬼怒川 毅

 本誌が、應武監督のインタビューに臨んだのは、奇しくも"愛息子"斎藤佑樹の日ハム入団会見の前日のことだった。監督生活6年。斎藤ら3人のドラフト1位投手を送り出した應武監督は、彼らをどう育て上げたのか。いま、何を想うのか。

[取材・文:柳川悠二(ノンフィクションライター)]

  '07年春、東京六大学リーグの開幕戦。早稲田大学野球部監督の應武篤良(おおたけあつよし)(52)は、入学してきたばかりの斎藤佑樹(22)を先発に抜擢した。自分自身、納得の上の決断だった。しかし、試合前夜には思わぬ重圧と対峙することになった。

「もし負ければ、実績のない1年生を起用したことでチーム内に不協和音が生じるかもしれない。OBからの叱責もあるかもしれない。何より斎藤(の将来)を殺してしまう可能性だってある。だけど私は、斎藤の"持っている"ものに賭けたんです」

 應武がこう振り返るのは、斎藤の六大学野球初登板だ。斎藤はこの日、應武の期待に応え、6回途中までパーフェクト。チームに開幕戦勝利を呼び込んだ。 

「あの日は美味しく焼酎が飲めました。さすがに深酒しましたね。次の日、試合前のノックで、ボールのトス役をしていた斎藤が『酒臭ッ』って言っていましたから(笑)」

 甲子園のスター投手を初っぱなから先発に起用した應武の采配に、スポーツマスコミは"演出の分かる監督"として期待した。しかし、現実は逆だった。その後の4年間、應武は「敵」としてマスコミの前に立ち塞がることになるのである。入学当初から、斎藤の高校時代の話題についてはNG。卒業が近づくと、今度は記者会見で「ドラフトやプロ入り後のことについて聞いてはならない」という不文律が出来上がっていった。

 應武と報道陣の溝がより深まったのは、昨秋から始まった敗戦時の会見拒否だ。今春の早慶戦で敗れ、リーグ優勝を逃した試合でも、伝統校早稲田の第100代主将を務める斎藤は姿を見せなかった。

「斎藤が悔し涙を流しているというのに、マスコミの方々の要望にすべて応じる必要はあるのでしょうか。それはないでしょう。それまでも斎藤に対する取材と、ウチの他の選手や他大学に対する取材の温度差を感じていた。斎藤中心ではない六大学リーグの取り上げ方をしてほしかったんです」