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「東大までの人」と「東大からの人」
〔受験生必読〕入ってみるとよくわかる
週刊現代 プロフィール

「実は提案が通って一番驚いたのは、私でした。どうせ承認されないと思っていたからです。日本は40代の人間にそれだけのお金を任せるような国ではなかったですからね」

 何より従来の研究所とはすべてが違う。在籍研究者の約半分は外国人で、議論は英語。上下関係もなく、教授会もなく、文理融合。画期的な研究体制なのだ。

 村山教授は東大で理学博士号を取得、東北大からカリフォルニア大学バークレイ校教授などを経て、'07年より現職に就いている。

 「小学2年生の頃、微積分を理解した」という、世界を知る天才肌の研究者である。

もう中国には負けている

「東大の物理学科にいた頃も、学生が集まる通称『タコ部屋』で、いろいろと刺激しあい、教えあいました。

 しかし、やはりアメリカに渡って驚いたのは、向こうの明るく活気のある雰囲気。セミナーで発表しても、びしびし質問や意見が飛び、フィードバックがある。

 初めてアメリカの学会に出たときは、私は無名のペーペー。ところが、研究を発表すると、あとでいろんな人が寄ってきて、面白かった、よくやっている、頑張れ、と声をかけてくれた。それまで論文を読んで尊敬していた先生までもが来てくれたんです。

 しかし私の次に、すごく偉い先生が研究の話をしたらブーイングの嵐。つまらない、と。偉くても、今いい仕事をしていないなら容赦なく叩く。これは日本と逆ですよね。皆が対等で、ものすごくフェアなんです。若者を分け隔てなく勇気づけ育てようという精神に、感銘を受けたものです」

 民間企業でも、新たな挑戦が行われている。技術基盤を持った東大理系ベンチャーの登場だ。藤澤智光氏(40歳)は工学博士を取得し、生産技術研究所研究員を経て、'04年にプロメテック・ソフトウェア社を設立。粒子法というシミュレーション技術を駆使し、複雑な構造の製品設計や、ハイクオリティなCG市場の拡大を目指している。現在の従業員は16名で東大理系出身者も多い。

プロメテック・ソフトウェアを設立した藤澤智光氏。オフィスは東大の構内にある

「起業して1年くらいの頃は、日に日に資本金が減っていきとても苦しい時期でした。しかし当時、献身的に仕事をしてくれて助けてくれたのが、東大の学生アルバイトだったのです。修士や博士課程の10人くらいが、月に3万円ほどのギャラしか払えなかったにもかかわらず、面白がって創造的な仕事をしてくれた。こういう仕事をやらせてもらえて楽しい、と言ってくれたのです。

 彼らの生き生きと頼もしい姿を見て、学生が自分たちの学習成果を社会にフィードバックする、こういう取り組みも大切だと感じました」

 同社の競合相手は海外の企業だが、特にアメリカや中国、韓国では、巨額の軍関係の予算がつき、国策で猛烈なスピードで発展しているという。

「事業仕分けでスパコンが問題になりましたが、どれだけ低次元の議論をしているんだと、頭がクラクラしました。スパコンを押さえれば、CPU、メモリ、LSIなど、多くの産業への波及効果が生まれる。だから、各国がしのぎを削って競争しているんです。

 日本がこうしている間に、中国や韓国、台湾は、もう日本以上に力をつけてきています。たとえばGPUコンピューティングという次世代の技術で、最速のものを作ったのはなんと中国です」

 世界規模で死ぬか生きるかという戦いをしている中で、「日本には国として、科学と技術でどんな戦略を採るかというビジョンすらない。このままでは本当に後進国になってしまいかねない」と危惧していた。

 東大理系の学生の中にも、国家戦略が欠如した日本行政への違和感や、中国、韓国の追い上げを心配している学生がいた。たとえ給料が少なくてもモノづくりを支えたいと、堂々と語る学生もいた。比較的楽な学科にいるため、勉強が不足していると危機感を持っている学生もいた。取材に答える姿勢も含め、きわめてまっとうな学生ばかりだった。

 東大に入れば安泰(あんたい)、などという時代はとうの昔に終わっている。「東大までの人」ではなく「東大からの人」が溢れるよう期待したいし、それを生み出す戦略がますます必要になってきているのは間違いないだろう。

〔取材・文:上阪 徹〕