永田町コンフィデンシャル
ショボすぎる「新総理・野田佳彦」
大連立・大増税・原発推進---
財務省の操り人形

 かつて「政治主導」などと騒いだ人々がいたことは、遠い夏の思い出である。公約を放棄した民主党の新代表候補は、官僚天国の守護神、財務省の代弁者。目眩がするのは暑さのためだけではない・・・・・・。

〝持っていない〟男

 間が悪い政治家、とでも言うべきだろうか。

 野田佳彦財務相は8月9日に、満を持して次期民主党代表選への出馬を表明するはずだった。

 その翌日に発売される『文藝春秋』9月号において、野田氏は「わが政権構想」と題し、政権奪取への意気込みを明かしていた。雑誌発売に合わせて出馬を宣言し、華々しく「ポスト菅」への名乗りを上げる。野田氏にとっては、乾坤一擲(けんこついつてき)の大勝負だったはず。

 ところが---。その目論見は、降って湧いたような全世界同時株安により、水泡に帰してしまう。よりによって野田氏が声を上げようとしたとたん、米国債の格下げに端を発した株式市場の暴落と、急激な円高が進行。現役の財務大臣として、出馬表明どころではなくなってしまったのである。

 野田氏は出馬宣言をするつもりで、記事のコピーを小沢一郎元代表の事務所にも届けていたという。

 代表選に出る場合、総勢100名を超えるという小沢グループを敵に回したままでは勝利は覚束ない。そこで〝天敵〟に等しい小沢氏の懐柔を狙い、まずは下手に出て、「こんな考えですが」と〝お伺い〟を立てたわけだ。野田氏は小沢氏に対し、サシの会談の申し入れもしていた。

 ところが出馬宣言は不発に終わる。せっかくの小沢氏への〝ラブレター〟は、あまり意味のない政策論文と化してしまった。小沢グループ幹部の一人は、間の悪い野田氏をこう評した。

「結局、大々的に政権構想を発表できるような〝星〟のもとに生まれていない、地味な男なんだよ・・・・・・」

 菅直人首相の辞任がカウントダウンに入る中、永田町では次期総理の座を巡る思惑が交錯し、政局が流動化し始めている。

 民主党代表選は、最短で8月28日前後に行われる可能性がある。候補としては、鹿野道彦農水相、樽床伸二元国対委員長、馬淵澄夫前国交相、海江田万里経産相、小沢鋭仁元環境相らの名前が取り沙汰されるが、中でも党内で一歩先行していると見られているのが、野田財務相だ。

 野田氏は'57年、千葉県船橋市生まれの54歳。早稲田大学政治経済学部、松下政経塾、千葉県議などを経て'93年、日本新党から衆院に初当選を果たした。日本酒好きで知られ、大のプロレスファンでもある。

「みんな(財務大臣の自分に)予算をつけろ、と言ってくるが、断っている。野田だから、ノーだ」

「駅前留学はNOVA、駅前演説はノダ」

 そんなくだらないダジャレで場を和ますのが得意だ。

 一方で、鷹揚そうな見かけと違って小心なところがあり、決断力のなさを指摘されることもしばしば。'08年の民主党代表選でも出馬が取り沙汰されたが、本人が決断できず不出馬に終わった。この時の優柔不断ぶりに呆れ、野田グループを去ったのが、次期代表選への出馬を狙っている後輩の馬淵前国交相だ。

 初当選の時期では、前原誠司前外相が〝同期〟に当たる。ただ野田氏は'96年の選挙で一度落選しているため、当選回数は前原氏のほうが1回多く、野田氏は党内の役職で、ずっと前原氏の後塵を拝してきた。

 ただし他の原因として、野田氏の独特の〝間の悪さ〟と〝運のなさ〟があることは否めない。

「野田氏のポスターのキャッチコピーは、もともと『ニッポンまる洗い』というものでした。ところが東日本大震災で津波による犠牲者が多数出たため、〝まる洗い〟はマズい、と言って『がんばろうニッポン』に変えました。でも議員会館の野田氏の事務所には、いまだに2種類のポスターが貼られたままです」(全国紙民主党担当記者)

 かつて、その政治的センスに致命的な疑いを持たれたこともある。'06年に起きた「偽メール事件」だ。前原代表のもと、国対委員長を務めていた野田氏は、永田寿康代議士が持ち込んできた「堀江貴文元ライブドア社長から、自民党の武部勤幹事長(当時)サイドに多額の現金が渡っている」というメールを鵜呑みにし、国会で追及した。

 ところが結果的に、その根拠となったメールは偽造だったことが判明してしまい、前原代表を巻き添えに、自分も役職を辞任するハメに。そして永田氏はその後、自ら命を絶ってしまう。

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